『じゃあ君のいたところでは、誰かが幸福になるために誰かが不幸になったり、自分たちの住んで居る場所の生き物たちを傷つけてまで…幸福になろうとしていたってこと?』そうだと僕は答えざるを得なかった。
『変なの』とその子は言った、そう、凄く変な所だったからもう二度と還りたくないんだと僕は言った。
『でも君はまだ身体がそっちにあるから戻らなきゃならないよ』その子に言われて僕は狼狽えた…僕は死んだんじゃなかったのか?
『ううん、ただ寝てるだけ、死にたいって思いながら寝ているだけだよ、遠くまで行きたいって考えながら眠ってたからここまで来ちゃったんだ、ここは全てが混ざり合う一つの合流地点なんだ』その子は…それがその子だとわかるのは七色に輝いていたからだ、何が?その子の意識がだ…その子自身であるところのその子の意識は輝いていた。
『自己実現』とその子はぽつりと言ってからまた言葉を続けた。
『価値の概念については君のいたところではそこまでしか進んで居ないんだね…ぷっ変なの!そんなのって見栄っ張りと変わらないよ』そう言われると何だか僕は自分を否定された気持ちになって悔しかった。だが確かに普段疑問に思ってはいた、世の中では何かを人間社会で成功させたその先が見えないんだ。何に関してもほとんどまだそうなんだ、何か得意なことがあるとか、人に出来ないことが出来るっていうのは凄い事だし、それを誰かが必要としているっていうのは人間同士ならばとても幸福な関係で、求める人が大規模になればそれが社会的成功って事だとも言える。でも社会的成功=自己実現ではないし、第一自己実現した先って何だろう?そんな風にいつも疑問だった。この競争社会の最終的な目標は何なのか?人間はさまざまの事を頑張ったり極めたりするけどその物理的最終目的って結局何なんだろう?
『分配だよ』その子は事も無げに言った。
『価値の相互交換、あるいは分配なんだ、本当はみんな自分の持っている宝物を分配したくてたまらないんだよ、分け与えない限りそれが【在った】とは誰も言えないし…その分配相手は人間じゃなくったっていいんだ』そうなのか?
『価値が本当に実現するなら、全体全部がその利益に嘉しないと意味が無いんだよ』要するに、善い事をしろってこと?と僕はその子に聞いた、その子は笑って答えた。
『それが君の地点ではどう捉えられているかはわからないけどね、ほんのちょっとのことだよ、挨拶するとか、ほんとうにちょっとのことなんだ、でもそれを…君らって、そういうことをやると自分の宝物が盗まれたとか、自分自身の力が枯渇するって信じ込んでるみたいだね』善行って考えはどうも胡散臭い、それに怒ったり僕みたいにいじけたりするのはご法度だから窮屈だよと僕は答えた。するとその子はきょとんとして言った。
『怒るって言うのは不利益だって言う事でしょ?自然環境を含めた全体全部の利益を考えないと誰の利益にもならないんだよ、だから怒ったっていいんだよ、全体全部の利益の為に、まあ…無理に怒らなくてもいいけど』今度は僕がきょとんとしてしまった。
『君のいたところでは何もかもが区分されているみたいだね、だからわかんないのも無理ないけど、君の地点での最終目標は富の分配なんだよ、富って言うのは…全部の事だよ』僕は答えに詰まっていた。共産主義国がどうなったのかこの素朴な七色の意識体に教えてやりたかった。それでもその子は僕の考えも手に取るようにわかるようで事も無げにこう言った。
『君らは個人っていう単位を信じ込み過ぎてるんだよ、個人が消えたらどうしよう?全部に飲み込まれちゃったらどうしよう?って怖がってる、ほんとうはみんなは一本の木みたいなものなんだよ…このぼくと君とが一つの大きな幹で繋がっているから君だってここまで来れたんだ、あのね、ぼくたちは同一人物なんだよ?』そんなわけあるかと僕は叫びたくなった。それならどうして…現に別人なんだ?それに、個人個人の特性や努力ってのも幻に過ぎないのか?
『本当だよ、君は消えないし、君のいた地点は活動し続けている、誰かが幸福になるために誰かが不幸になったり、目に見えないからって菌類や小さな虫のやっている努力を踏みにじってるけど、ぼくはみんなに語りかけているんだ。だから世の中はだんだん変わってきているよ、分配する方に、全体全部の利益を考えないと数字上でも利益が出ないって事にようやく気付き始めてるところなんだ』僕はなんとなく泣きたくなった。この七色に輝く子から見たら原始時代と同じくらい愚かな場所へなぞ帰りたくなかった。帰ったところで僕に出来ることはスプーン一杯分くらいの愛想を振りまくことのようにしか思えなかった。
『それでいいんだよ、君のいたところでは…個人という単位を妄信している癖に、みんな自分ひとりひとりの力を軽んじている、何かいいことをしている人や頑張ってる人を見かけた時に一言挨拶をしてみなよ?ほんとうにそんなとでいいんだよ、ちょっとゴミを拾うとか、ほんのちょっとでいいんだよ、自分のために気を利かせてくれた人を一言労うのでもいい…君の音楽も本当は君が到達点へ行くためじゃなくて、全体全部の到達のためなんだ、その時は目に見えなくても、ね?ここまでくればそれがどういうことなのかわかるよ』
気が付くと朝になっていた、何だか誰かと話をした夢をみていたようだ。そのまま顔を洗って外へ出た、何に悩んでいたんだっけ?ああそうだ次の曲だ、音楽家って肩書は案外誰にでもつけることが可能だ、何か良いの無いかなあ、聴いた人の心に爪痕を残すような…いや、爪痕残しちゃいかんだろ!今必要なのは…病気の時に聴く音楽だ、疫病に効く音楽だ。そんなものあるわけないと思う気持ちと、これこそみんなが…人間だけじゃなくおそらく人間に対する反駁として湧いて来たウイルスにさえも利益となる音楽、鎮まる音楽が必要だ。僕は早速作曲に取り掛かった。確かにそれは個人的な到達点への出発でもあったし、全体全部が幸福になるための一つの手段のような気もした。このアイディアに僕は微笑む、と同時に朝日に輝く川面に、七色の素晴らしい陰が見えたような気がした。