散文詩【トランスーワルド航空800便墜落事故】

1996年7月17日トランスワールド800が空中分解したその時に俺も夜空に居た。正式名称はトランスーワルド航空800便墜落事故。あんときの俺はまだ本物のへなちょこなガキで、初めて行く外国に胸を躍らせてたよ。飛行機の窓から見える夜空は、なんていうかもう宇宙でさ、星がそのまま俺らの周りに浮いているみたいだった。あー、死んだあとってこんな感じかなと思ったよ。あの時のあの夜空ほど真に迫るものは未だにない。地上から見る空がどんなに綺麗でも一体にはなれないんだ。まさにその時に同じような大陸の飛行機会社のオンボロ飛行機が爆発してたなんて知る由もなかった。でもさあたまに思うんだよ、もしかしたら俺こそが墜落までの一瞬の長い夢を見ててさ、トランスワールド800はまだどこかを飛んでるんじゃないのかってね。

飛行機で目的地から目的地に移行するときいつも考えるのは…俺は飛行機ってものを独自に愛しているからさ。大空、摂氏マイナス50度のこの外気のただ中をヘリコプターみたいにホバリングして、空中停止したままで窓から見える宇宙めいた星空や非地上の感覚を味わいたいって願望を抱いていたりする。無論それは今現代の科学では無理なことで、そもそもそんな低気圧の場所に留まっていたって外に出たりすればたちまちに死んでしまう。天国どころか地獄だ。でもこの地獄的な天国は俺の中ではそう、これは限りなく地球そのものに似てるんだ。俺のこの願望は地球の在り方みたいだってよく思う。なあ、この三次元空間上に於ける地球ってのは奇妙だと思わないか?地球だけで完結したこの場所は空中停止した飛行機みたいじゃないか?えらく人工的な気がしないか?つまり、この三次元空間っての自体が、多くの書物の語る天国なんじゃないかって俺はどこかで疑ってる。天国はどっかにあるんじゃなくて現在の繰り返しの中で永続しているんじゃないか?ここが御国ってやつなんじゃないのか?この繰り返し、多次元宇宙空間での足踏みが許される地点、それが地球というか三次元空間ってやつなんじゃないかと俺は疑ってる。

人間的な意味での天国は現在の三次元上の地球なんじゃないかって話だ。人間っていう視点からは確証なんて得られない。人間やその他三次元的生命が『望む』限りこの空中停止状態は可能なんじゃないかって考えている。いやまあ確かに地球は軌道上を動いているわけだから停止なんてしていないんだけどさ…けど考えたことは無いか?どこかからどこかへの移行中、足踏みしていたいって考えたことは無いか?車でもなんでもいい、ドライブ中に目的地を設定するのがえらく面倒くさいってとき、走り続けなきゃいけないってときや信号待ちだのなんだの、外部の干渉と歩調を合わせなきゃならないとき、とりあえず流れる景色は体感したからこのまま無目的にひたすら走りたいってことを突き詰めると、それは最早移行や移動じゃなくて足踏みや留まることへの欲求なんじゃないかと俺は思う時がある。このまま運転中の車で足踏みしていたいとき、俺は自動車にもホバリング機能があればいいのにと思う。駐車すりゃいいじゃねえかという突っ込みは無しだ。止まりたいわけじゃない、空中停止をしたいんだよ。動いていていいけど足踏みしていられたら気晴らしにもなるし楽だなって思ったりするんだよ。

けどまあ俺も仮に墜落までの一瞬を生きているにせよ1996年当時から食ったし、いつまでもガキじゃないから宇宙めいた夜空を見つめ続けているのにも内心飽きてきてるんだ。飛行機は好きだしホバリング可能な飛行機があるなら高度10000メートルで空中停止してもらいたいもんだよ。しばらくは俺だってそこを楽しみたいんだ、しばらくはな…。なあ、多次元宇宙空間という概念に基づいて考えると俺らの暮らす日常の範囲内に、こっちからは干渉不可能な存在とかの巨大な(あるいはミクロな)都市とかがあったりするのかな?人間からは異次元的に思える摂理のなかを存在している非生命体が居たりするのだろうか?そいつらから見たらここはまさにホバリング中の天国だろうよ、俺たちは天国に居る。天国ってここのことだ、天国って地球の事だ…けどもう飽きた、天国は目的地じゃないんだ。つぎの目的地は全方位に存在してるんだ。目的地への移行感覚の強い奴らは最早三次元空間なんてものが窮屈なもんだからひたすらに「救済」とか「届きますように」って叫んでる。

魂の救済、要するに箱庭天国に本質的には飽き飽きしてる連中だよ。トランスワールド…向こう側の世界、超越世界、彼らがその名の通り別の世界への移行を成し遂げたっていうんなら、たかが三次元上の地球的視点から見たら無様な空中分解でも、遅々として進まぬ足踏み天国をぐるぐると墜落中の俺の身からすれば、ちょっと羨ましくもあるな。