散文詩【ファリサイ人の嘆き】

覚えているか同胞よ!同じ間違いはどこにでも起きる。
選ばれし人民のみが尊敬を集め呪われた椅子に座るのを何故、あなた方同胞は糾弾出来るのか?
かつてバビロンの捕囚が終わり、私たちは古のヘブライ語を忘却し浅ましき敵のカルデア語を話していた。
祖国の言葉を忘れたので祖国の教えの書を読めないなどと言う事がどんなに我らを脆弱に至らしめていたかおわかりになるだろうか?
我が祖国の言葉を忘れたなどという事がどれほど我らの恥辱であったか考えても見てほしい。
万軍の兵力よりも祖国の言葉や風習を捨て去らせるほうが民たちを弱らせると敵は知っていたのだ。
甘言に酔い迂闊な同盟を結んでモーゼの律法を捨て去った我が祖らをそれでも許せ。
しかし行為を以て許すことなかれ、許すことなかれ、永劫に許すことなかれ…その時に律法を思い起こさせモーゼの教壇に座したのが律法学者であった。
その厳しい教えを実行するように教えるためにファリサイ派が生じたのだ。
覚えているのか同胞よ言葉を忘れた同胞よ!
ふたたび我らにヘブライ語をもたらしたのは律法学者と、その実行を強く進言したのはファリサイ派であったと、律法学者は古の律法を捕囚という惨めさの代わりにふたたび人民に浸透させ、ファリサイ派は律法の実行を教えたのだ…実行していない愛を語るなかれとあなた方は言うが果たして同じ過ちを犯さないとどうして言い切れるのか?
教える者たちの階級制度が我らを堕落させ、モーゼの書を高らかに読み上げて他者を排斥し、税を取り立て、一かけらもモーゼの愛の実行をしないとあなた方は我らを指さして言うが、異教徒の風俗習慣を受け入れたかの悪しきヘレニスト派とて当初は人民の保護策として異国に頭を下げたのだ。
そうでなかったら我らは根絶やしにされていた、根絶やしだ、根絶やしだとしたらあなた方も世を見ることなく黄泉に下っていたはずだったのだ。
外国への精神の隷属に異議を唱えるべく我らが我らであるゆえに立ち上がったのが我がファリサイ派なのだ。
あなた方同胞よ!実行をしない律法学者と傲慢なファリサイ人と侮るなかれ…ファリサイ人を指して侮ることなかれ。
侮った瞬間に人間の精神の階級が生じ、誰もが異邦人となり、自分以外を無視したその瞬間に、誰もが裏切り者になるのだから。