散文詩【死後実況】

長年実況をやってきて最後の瞬間、俺は視聴者…鑑賞者ってものが信じられなくなってしまった。

あー、これはちょっと話しにくい事だから名前は伏せさせてくれない?…って言ってもまあ、ゲーム実況者が実況中に死亡、しかもゲーム内でもバットエンドが流れたその時に脳梗塞起こしてぶっ倒れてそのまま数時間放置の後、母親が部屋に入ってきて昏睡してる俺を見て取り乱すまでの全部の音声、救急隊員が二階の自室まで上がってきて死後硬直しはじめてる俺を運び出すまでの全部がネットで実況中継されてしまったわけだから、そんなものは実況者、発作、バットエンドで検索すればすぐ出てきちゃうんだけど、俺もこれでも恥ずかしいからあんま検索してほしくないわけ。

勤め先までばれたからなー….。ばれたっていうか、別に悪い事をしてたわけでも何でもないんだが死人に口なしってことで散々に盛り上がってるのをまざまざと見たわけよ。あー…これが人間てやつかと思ったね。正直、俺はこの事に気付くのが遅かった。人間という生き物が最終的に求めているのは連帯と歓喜だ。連帯と歓喜のためには人の命までもが軽んじられるってのを死ぬまで知らなかったんだ。

実家でゲーム実況中に死んだとか言うと物凄いオタクとか引きこもりを想像するかもしれないけど、ほら、アイコンのこの顔見りゃわかるでしょ、至って普通の男です、もう死んだから他人みたいな感じですらあるんだけど…過去の俺って、イコール、今の俺ってわけではないからね。  

生きてた時、つまり数日前まで仕事もしてたし、彼女も居たし、ああこういう事言うと叩かれそうだけど彼女結構若いんで結婚はもうちょい先かなと思って俺は実家に住んでたの、金も貯めたかったし。なんかさ、俺は今までの人生で特段いじめられた事も無いし、こう言うと生ぬるく聞こえるかもしれないんだけど敵対する奴も居なかったのね。だって仲いい人ってのはさ、味方じゃん?そういうリアルの仲いい人たちとの付き合いも、あとネットのゲーム実況も、結局俺の実況が好きな人だけがそれを見に来るわけだからアンチも居なかったし。…いや厳密にはそりゃ居たよ、自慢するようであれなんだけど再生数とかもそれなりな方だったから、1万分の一くらいの確立でおかしい奴ってのは居る。けどその位が俺のリアル人生の人間関係でのゲームバランスだったんだよね、人間嫌いな奴とかたまに居るけどなんで仲いい奴見つけないわけ?なんで1万分の一位の確立でのやな奴を避けて生きないわけ?…とか心底不思議に思ってたんだよ、発作の起こる時までは。

ゲーム実況ってのはいろんな形態があるけど、俺の場合は時々顔を出してたのね。画面の右端くらいにちっちゃく実況中の顔が映るようにカメラもセットしてたの。これをたまにやるとどういう奴が実況しているのかがわかるせいかリピーターが増えたんだよ。今となってはそれすら思い込みだったんじゃないかって気がしてるんだけど、女性のフォロワーからも信用してもらえたし。…いや別にそういう出会い目的とかでゲーム実況してたわけじゃないよ!みんなで楽しくワイワイやればいいっていうノリだった、それがニコ動時代からの趣味だったんだから。第一…俺は確かに、実況内ではよく中年自虐発言をしてたよ、もうオッサンだーみたいな発言とかさ。でもさあ普通に考えてよ、まだ俺36だぜ?ああこれ、まだ若いって言いたいわけじゃなくて、中年なのもわかるんだがそれでも、死ぬとか、発作で死ぬとかそういう年齢ではないでしょ?それに繰り返すけど、俺は普通に働いて休日にゲーム実況してただけで、運動不足でもなければ不摂生な生活だったわけでもない、朝までゲームやるみたいな阿呆なことをやってたわけでも何でもないんだ。あのたった2時間のゲーム実況中に血液が滞って死ぬ要素をむしろ逆に、どうしたら見つけられるんだ?って感じだよほんと。

一時間やったら屈伸、っていうルールを実況中も三十路過ぎからは守ってて、コメント欄にも『一時間経ったぞー』とか注意を促してくれる言葉が上がって来たのね、あ、これもう十分やっぱ高齢者扱いされてたのかな?…なんか笑える。とにかく、その時その瞬間、椅子から立ち上がったらさ…地震か!!?と思うくらい強烈な眩暈がして、俺は今まで眩暈ってものを知らなかったから必死に、地震きたぞー!って言おうとしたんだけど…自分でその言葉を言ってるつもりだったんだが、実際には呂律が回らなくなってたんだよ。でもゲームを止めるのも惜しいし、みんなの様子を見ても地震のコメント無かったから眩暈だってわかってきて、とりあえず席についてまたホラーゲームを始めたのね。エンディングがいくつかある中でも今回は敢えて強烈なバットエンドをチョイスしてたからそのせいもあって視聴者はかなり多かった。終盤まで来て止めるわけにもいかないでしょ?でも相変わらずうまく喋れてないらしく、『酒飲んだのか?』とか『酔っぱらってるぞー』というコメントが増えて行った…。

野次ってわけじゃないんだが心配するようなコメントもちらほら出てきていた。…俺は意識があるつもりでコントローラーを動かしてたんだけどゲーム内の主人公の動きまでおかしくなっててさ、気圧が下がったのに気づかないまま意識不明になるパイロットみたいに俺の身体も、操縦不能の飛行機の如く墜落してった…俺は心の何処かで自分は転寝してるんだと思っていた。その時だった。

『おいこれやばくね?』

このコメントの後に何かが一転して、みんなが画面に映った俺を見て画面越しに騒ぎ始めたんだよ、思えばこいつは死神というか、大多数の意識の代弁者だったんだな、大多数よりもコンマ一秒早く大多数の意見を言える奴って居るよな?…こいつを恨んだって仕方ないんだが、そのあとは雪崩みたいに驚きコメントの嵐だった。『痙攣してない?』『てんかん?』『発作?』俺は…厳密に言うと俺の目はもう画面を認識出来ていなかったから、今まで幽体離脱とか馬鹿にしてたんだけど実際霊魂は肉体から離脱すんのね。あれホントだったんだな!死ぬとわかることってあるんだよ。その神的死者の意識でコメントと画面に映る自分を見ていたんだ。おかしいよ、なんでわざわざカメラ越しに自分を見てるんだよ!俺の魂、実況に毒されすぎだろ!って自分で自分のネット中毒っぷりに突っ込みたかったよ。俺の肉体は…せん妄状態を既に通り抜けていて、意識の中で今起こっている事が完全に本当の事だとわかってたんだ。それから…大勢の声がしたんだ、『…もしかしてすごい事が起こるんじゃない?』『凄い事って何?』

『死ぬ瞬間に立ち会えるってこと!!!!』

これが入力されたコメントなのか魂の視点から観測した実況鑑賞者の超意識の声なのかはわからない、この瞬間からみんなの意識が唐突に爆発したのを俺は確かに、肉体や三次元空間を含めた遥か広大な次元から静かに観測していた。むしろ俺がみんなを鑑賞していたのかもしれない。俺は体現者である自分越しに大勢の意識を鑑賞していた。ゲーム実況の鑑賞者たちは俺自身に観測されているとも知らずに、俺が死ぬのを…喜んでいたよ…。まあこの中に、この、ライブ中継時に集まって来た数千人の中に俺と個人的に超仲良しの友達とか居なかったし、そんなのは仕方ないって死んだ今ではわかるんだけど、誰かに死を望まれて、しかもその死が単なる究極の娯楽でしかないって悟ったときの俺の絶望感は…わかるよな?人間ならわかるよな?むしろ憎まれて死を願われるほうがマシなんだ。それって俺という人格が在るって信じてくれている奴が居るってことの証明でもあるだろ?違うか?みんなてんやわんやの大騒ぎだった、てんやわんやってのはまさにこういう状況を指す。騒いでいるけど根源的に天真爛漫な稚魚のように…ああなんで国語の教科書に載ってた詩なんかを思い出すんだろ?怖いのは、みんな感情的には心配はしてるんだ、彼らは本心から心配している、と同時に血が湧きたってどうしようもないんだ…俺だって人間なんだからわかるよ、綺麗ごとじゃなく、命こそが最高のエンターテイメントだってことくらいは。

ゲーム実況の醍醐味を敢えて言うなら、ゲームという…要は、試練を俯瞰して楽しんでいる様子に一種の万能感と安心感を覚える事じゃないかな。流し見でもいい、言い換えれば人生もそんな風に楽しめればいいなあという希望の体現でもある。ホラーゲームなんかはさ、自分は安全なところに居て画面から幽霊や殺人鬼は出てこない、誰かがそれを倒してくれるのを見ていられる絶対的な、命が守られている安心感…それを求めてるから成り立つ趣味なんだ。そういった画面越しの究極の安心感を得る最高の手段は…そう、人間そのものの死、他人の死、実況者の死、真のエンターテイナーなら自分の死に様までもを他人に提供するんだろうな。俺は自分がエンターテイナー未満だったことを何故か今はちょっと悔しく思っている。鑑賞者が俺の死に表面上は感情を揺さぶられつつ最高のホラーだと歓喜しているのを、恐怖そのものだと感じてしまった俺は、もしかするとゲーム実況には向かなかったのかもしれないな。

だけど、生きてる人には説明しにくいけど、今も一応こうして一連の事を体現して、だんだんと魂的なフォロワー?も増えて行ってるわけだから、いつまでここに留まるのかはわからないんだけどこれからも、ちょっと滑稽かもしれないが実況はしていこうかなと思ってる、題して死後実況、これを次の目覚めまでやってくつもりだよ、俺のアカウントをこれをお読みの方に三次元のように教えられないのが残念ではあるけど。