散文詩【芥子色のワンピース】

『夏の夕暮れにでも着るといいわ』そう言って手渡された芥子色のワンピースをまだ若かった私は相手に必死に押し戻して言う。

「…あのねえ夏の夕暮れなんて来やしないんだから、今までだって夏を過ごしてきたけれど素晴らしい夕暮れってものに、あたしはついぞ巡り合ったことが無いんだから!いつだって人は次の季節に憧れるものだけれど実際にその季節を生きる時にはいつだって夢想してたのとは違うじゃない?春の素晴らしい麗かな日には花粉症で四苦八苦して顔中鼻水だらけになるか薬で怠くなってるか、夏は夏で夕暮れ時に限って人を見れば嘲笑するような連中が騒ぎに来る、そんな時に黄色いワンピースなんか着て戸口に出て堂々と出来る?あたしは生憎生真面目なつまらない女だから、夕涼みに敢えて洒落込むほどの気概を持ち合わせちゃいないの!天高く肥ゆる秋には何だか物足りないような気持ちになって冬用の衣類を買いあさったりするけど、いざ冬が来てみなさい理想の冬なんかどこにも無い、冷え性が祟って霜焼けを起こしている足をさすりながら一日中風呂に入る事だけを生きがいに過ごすようになるってもう決まってるんだから、だから要らないのよ返す、返しますとも芥子色のワンピースなんてあたし着たくないの…」

『それはあんたのせい!季節のせいじゃなくあんたのせい!女が一番身に着けにくい色はピンクって相場は決まってるんだから黄色、しかもくすんだ芥子色のワンピースぐらい着れないでどうするのまだ若いのに!』そんな言葉と共に押し付けられている誰かのお古の芥子色のワンピースを退職間際の私は尚も相手に押し戻して言う。

「…そうねその通りだわでも、でもあたしはあたしがあたしで居る以上オシャレをするって気にはなれないのよ、しかも、あの人のお古なんて!死んだ人のお古を着る気にはなれないの…」

『死んだ人の土地を買ったのに?土地が大丈夫なのに何で布切れ一枚駄目なの?これは餞別に持ってきてあげた服なんだから着なさい!いいわね?女なんだから女らしいものを少しは身につけなきゃ!』結局そうやって手渡された芥子色のワンピースを当時の私は即座に捨てたがそれでも尚、夏の夕暮れが来ると死者の纏っていた芥子色のワンピースが目に浮かぶ。貰い物とはそういうもので実体が消え失せても幸か不幸か一生付きまとう、それでも…。

あれから数十年、空は虹色に輝き、夏という季節が近づいている、確かにこんな素晴らしい夕暮れに着飾るのもそう悪くないと、歳の数だけ死に近づいた私は一人、おせっかいもそこまで嫌ではなかったのかもしれないと、宵の風に微笑んでいるところだ。