散文詩【音圧戦争】

90年代後半から音圧戦争が本格的に勃発し、この薄い音をいかに莫大な質量に見せかけるかという勝者無き負け戦が始まった。

これはスパイス戦争と時を同じくして始まった大戦争のひとつである。
興味深い事にスパイス戦争の本質も音圧戦争と同じで、要は薄い質量のものをどれだけ刺激的にするかを競う争いであった…この勝者は鈍感な舌の持ち主である。
敏感な舌の持ち主がたった一滴のタバスコに顔を歪めたのと同じ刺激を、鈍感舌の連中はタバスコ数十本をかけて感じるというだけの話である、脳に感じる刺激の量はその実同じというからくりに対して人々は『脳の中を見ることは不可能である。見えないものは信じることが出来ない、よって目に見えない現象は基本的に存在しない』等と猿のようなセリフを吐いて刺激と対峙する自分等を褒めたたえた。
結果どうなったかというと人間という地球生物は加速度的に辛い物や音圧、つまり刺激を追い求めるようになった。

人々は自分たちは強くなったのだという錯覚に酔いしれていたがその実人間という種族の味覚は時間とともに鈍化しているだけなのだった。

音圧戦争もスパイス戦争同様に於いて信号変換音はその黎明期と比べると数十倍の強度を示すようになったが、スパイス戦争と異なるのは、その実人工的に信号変換された音の質量というもの自体はその実薄まっているという点である。
核爆弾…実際の大量殺戮兵器があるがこれの登場によって人間はあっけなく遺伝子を破壊されるに至った…スパイス戦争や音圧戦争はこの恐怖に抗おうとする種の本能の現れだろうか?

既に定着した音圧戦争以後の音色は最早振動で、これを鼓膜に受け続けると鼓膜は鈍感になるどころかその場で傷ついて、個体としては経年劣化が加速度的に進む。
鼓膜や骨や敏感な感受性、脳を含めた人体にスペアのない事を彼らはまだ学習していないらしい。

音圧戦争勃発から、まるで爆発音を模倣したような振動音を聴いて育った哀れな人々。
彼等はこぞって自分の声音を機械信号変換音に圧縮して野放図にたれ流そうと躍起になっている。
この思考回路こそがまさに音圧戦争の弊害である。

その実路傍に出て叫んだ方がずっと『大きい質量』であることを彼らは暗に知っているのだ。

知っているからこそ自らの声音を信号変換音に圧縮変換するのである、何故?
実に逆説的解釈だが…誰も傷つけたくないから電気信号に変換するのである…音という圧を受けて育ったがための暴力回避行動なのである…ああ音圧戦争、音圧大戦争、この暴力回避行動が彼ら自身から全ての暴力衝動、個としての強さ…音と味覚と、自発的意見を奪い、脳裏の思考イメージのみを特化させた挙句存在の疑問に突き当り、それがために種としての全死滅に至ろうとは…今の彼らには音圧戦争の末路は想像もつくまい。