原子を内包した泥人形を思い浮かべて私は、カプセルを開いて原子崩壊させてからちょうど半分だけ飲みました。いつもそうやって飲んでいました。紙の上に出した薄い朱と白い粒、粒は一見、たらこの小さな球みたいに思えますが稚魚は出てこないし不味いしMrコンタックは実際には微笑んではくれません。小児服用量として父愛用の憎むべき鼻炎薬を半分にして飲むしかなかったのです。胃のあたりがもわっとしてきて、家庭内で私と父は目も合わせずに、これは常用してはならないと言いつつそれでも毎日飲み続けたのです。
ねえMrコンタック、人を助けるための鼻炎薬こそが私たちの嘔気と気力低下の引き金となっていたとは何と皮肉な事でしょう?
…そうです小学校時代からこれを毎日常用し続け、少しでも学校で鼻を垂らさないようにと心がけていたのです。健康な方の思い浮かべる鼻炎症というと、強い身体の中で鼻という呼吸器官だけに恥ずべき欠点があるという認識をされますが実際には、アトピー、当時としては謎の関節の痛み、そしてこの鼻炎という三重苦を体感していました。脆弱な人間の言う不具合とはこのようなもので常に連鎖しているのです。またくしゃみか、また痒みか、また痛みかと周囲の人間を散々呆れさせて生きてきたのです。そんな劣等感だらけの私はクラスメイトの女の子たちを横目で見ます。彼女たちと私は既に何かが違うんです。原子的な構成部分からして彼女らは光を纏っていますが私は薄汚れています。私ほどに汚点だらけの人間を普通学級の子供には見出すことが出来ずにいました。
ねえMrコンタック、不幸を比べてはいけないのはわかるけど私のカプセルの中にはくすんだ球しか入ってないの…。
この事に関する恨みを抱かないようにせめて鼻炎だけでも止めておこうと考え、父もまたこの考えに賛同したのです。第一に人前で鼻をかみ続けるなんて不作法な気もしました。就寝時間になると体温が上がり、それによって皮膚の痒みが生じ、痒みに比例してくしゃみの発作が起こります…毎日です。病院へは行きましたが大して手は打ってくれません。それどころかたまに意を決して行くと不必要な検査をさせられ検査料を取られます。正直に白状いたしますとその数千円があの時の私たちには大金だったのです。よって鼻炎とアトピーとわかっているのに検査をする医師たちを私はもとより両親は全く信用していませんでした。そんなある日、布団を敷く部屋の畳が青く変色しているのに気付きました。よく見ると壁もパラパラとペンキがはがれてきています。ねえこの畳と壁、カビてるよお父さんと言うと父はしょげ返り、団地だから何の手立てもないし手を加えることは違反金を取られるから出来ないと静かに言うと、それから不意にサンドバッグを殴り、それを一時間ほども続けていました。あの音…私は宙を切るその音を隣の部屋で息を殺して聞いていました。
風邪薬を飲み続けた女児がどうなるのかというと早速恥ずべきカンジダ症を併発し、中学になるころにはそれがために常に苛々していましたしいよいよ不眠に陥りました。それでも人目を気にせずに鼻水を垂らすのが私にも父にも辛かったのです。鼻水だけでなくくしゃみの発作が起こるとみんながこっちを見るのが、辛くて辛くてならなかったのです。そうです勿論私たちは間違っていましたし間違っている事を自覚していました。ですが仮に一体どの程度の強さがあれば全てを間違わずに済んだのか、私には未だにわからないのです。どうやったら正解だったのかを一見優し気なあの泥人形さえ解き明かしてはくれないのです。ねえMrコンタック、ほんとうに私たちを助ける気があるなら、個人というカプセルを全部開けて、中身を全部みんなで分け合いましょうよ、そうすれば私たちみんなが幸福になれるでしょう?…ええわかっていますとも、このような嘆きは嘲りのためにあるのです。また努力しない言い訳だと叱咤されるために在るのです。それでもあの忌むべき市販薬を飲まないという選択も、団地からの引っ越しも、あの時の私たちには到底出来なかったのです…。