散文詩【ナイトダイビング】

ここがもう海なのよ、まるで深海のよう。いつもの道も真冬の早朝となると視界が狭く呼吸も浅い。軽装備じゃ駄目、懐中電灯の灯りだけが人間を示すサイン、着用を義務付けられたマスクから漏れる白い吐息も相まって、冬の朝はナイトダイビング中の海底みたい。見えなくても進むの。太陽光の無い世界は水色のヴェールが剝がされて別の星みたい…海の底の珊瑚礁の家々は寝静まっているようでいてみんな起きているのよだって私たち、眠る時にほど目覚めているのだから。真っ暗な世界で凍えて飲む缶ビールはどんな味?霜の降りた公園で食べるチョコレート、海水の中で嚙み千切る干しもの、鳥は眠ることが無いの朝焼けが私たちを血の色に染める時も色の無い真夜中もすべての生き物を起こそうと泳いで絶えず歌っている。海の中を泳ぐみたいに歩く私たちは今、早朝の木立の中をナイトダイビング。誰も居ないと思っていても遠くに人間を示す灯りが記号のように瞬いている。言葉も視界も消えてこの人工灯だけが道しるべ。怒っちゃってごめんね。きっと朝早くからの仕事だったのよねわからんでもないの、車中泊して詰め込むように食事したらそのまま仕事ってのがどんなものか、世界の海はこんなやるせなさで溢れかえってしまうのかしら?海水よりも涙の量が増えた時私たちは無理矢理に陸に押し上げられる。空にさえ打ち上げられるのでしょうね。でもまだ泳がせてね、太陽が昇るまでの間、寒くはないの。深海魚みたいに灯した懐中電灯でやるせなさを、少しでも拾わせて頂戴。だってこれは海の中の塵を取り除いてゆく行為なのだから、海に達する前の塵芥を今、日の出前、ナイトダイビングしながら取り除かせて頂戴。