キリスト教はプロテスタント、その異端であるピューリタンが作り上げた資本主義帝国のモットーが何だか知ってるかい?それは『信じる者は救われる』ってことだ。僕はもう今なら神様ってものがどんな性質を帯びているのかを知っている。信じている者に信じている効力を与えるんだ。今の僕なら、聖書を片手に天国を信じますかとにじり寄る狂信者の群れをかき分けてこう言おう、信じますとも信じます、信じていれば天国は見えて来る、確かに君らは「本質的には」間違っちゃいない!ってね。
何故なら株式って物は心底、宗教に似ているんだ、信じる者は救われるし信じないものは救われないっていう不条理システムなんだ。まず第一に株って物を信じるかどうか、配当ってものを信じるかどうか、変動ということに身を任せられるかどうか。そして利益というものを…信じた人間だけが手にすると信じられるかどうかがモノを言う。学校の義務教育で配当利回りの仕組みをどうして教えてやらないのか僕には理解出来ないよ。信じてさえいればみんなが潤うのに!と思う一方で人生動揺株価は変動するし、根本的に信じていなければ価値は暴落するんだ。でもこの世のみんなは基本的に利益が欲しいから利益ってものが現実化するんだよ、簡単だろ?
この仕組みを子供のうちに教えてやらない理由はただ一つ、国民の資産を国営銀行が発行するモノ以外に変えたくないからだ。日の丸国の中身が実は全部自由の女神だったなんて日には…それは最早日本という国じゃなくて第二アメリカ帝国だと、少なくとも国のお偉いさんは思ってて、そんなことは敗戦国の恥辱だという固定概念が抜けきらないんだろう。そのためならばガソリン一滴血の一滴、国民には窮してもらって、西洋宗教のそれも歴史的に見れば新興宗教が作り上げた邪教の黄金を手放してほしい…と、こう考えていらっしゃるご様子。株に関するマイナスイメージやFXや先物と株をごっちゃに語るという破廉恥極まりない風潮を許しておられるのはひとえに日の丸の栄光のためだ。確かにこれは正真正銘、信じたもの勝ちで、プロテスタントの思考回路満載の容赦ない数字世界だ。みんなで一緒に幸福になったり不幸になったりするんじゃなく、幸福になりたい奴だけを率先して救うというシンプルかつ何処か動物的倫理観、情緒もへったくれもありゃしない。
昨今、配当利回りというキーワードに血眼になって食らいついているのはたぶん、僕を含めて準貧困層に違いない。株やってると言うとぼろ儲けみたいなイメージが強くて、そのせいで不労所得という言葉だけが独り歩きしているが資金投入のためには働かにゃならん。だから実際には株は働いている人間のする副業みたいなものであって、しかもそれは自分の予想貯金額では自分の人生をおそらく賄いきれないという絶望に相対している低所得人間ほど切実に手を出すジャンルなのだと推測する。だってさ、普通に稼いで普通に貯金するだけで人生の一幕が微笑みのままに終わる人間はいちいち株に出す意味が無いんだよ。人間ってのは余計な勉強を拒むように出来ている、人間ってのはシンプルな生き物なんだ。ただ、世界そのものは実質、かの異端者たちの作り出した金の幻想によって現実的に稼働しているって言うんだから驚きだよね。
大多数がそれを信じないが一部は信じて助かろうとする、しかし聖書通りに行くならいずれ世界は終わる…でも考えてみてくれよ、一番残酷なのは世界の終わりや株式の終わりじゃなくって…世界が笑顔で続いているのに一人座死するって事だろ?その可能性の高い奴はさっさと信じてしまった方がいいんだ。
それでもたった一人で信じるってのはすごくしんどい、孤立無援、周り中が配当利回りという言葉に怪訝な顔をする中で一人コツコツと高配当銘柄を検索しては証券会社の虫眼鏡アイコンにティッカー入力しているこの僕は、さながら荒野を彷徨いながら神を妄信する異端者みたいなもんだ。今三十代とかのこの世代から株を始めた人の陥る一番の躓きはおそらく孤独感、それも強烈な孤独感。大多数が無視する物事を信じる、大多数が『大変だけどこのままでいい、このままでいいと思ってる事や何も信じていないことが常識』と言っている中で株という一種の…しかしよく考えると巧妙なミラクルを信じ抜き雀の涙の資産を投入するこの行為、これは容易い事ではない。そして株という用語自体がお金というセンシティブな物事と直結するって言うんで、神と同じくタブー視されてるって事がますます人を孤独にさせ…時に挫けさせる、それがこの国の利益率を下げている。
敢えて言いたいのは、僕にも国民というラベルが貼られてはいるけれど、生きるために資産を増やさざるを得ないこの状況、信じる者は救われると信じるより他無い状況を考えると…どの国の銘柄がいいとかどの国の貨幣で資産を保ちたいとかいう間の抜けたことは言っていられないんだよ。正直何処だっていい、堅い銘柄なら何処だっていいんだ、配当をくれて証券会社で取り扱っているんなら何処だっていいんだ、誰だっていいんだ。この事を考えると既に『国』って単位は…異端者共が永久機関として作り上げたこの資本主義システムが発足した当時から、もう崩壊していたんじゃないかって気がしてならない、国っていうものは株以上に遥かに幻想と化している…果たしてそれが救われているのか、救われざる結果なのかは…僕はともかくピューリタン本人達にさえわからないだろう、神様にさえも。