散文詩【可哀そうな女性】

いえお母様それはいけません、あたくし、いくら困っていてもそれだけはやりとうございません。
見知らずの人に援助してもらう事はその人に買われるという事にございます…お父様も簡単に仰いますな、女がそれをすると厄介ごとが起こるだけなのです。
たとえばあたくしが困っているから援助してくださいと言ったとしましょう、かの伯爵様、あの子爵様、市議会員殿でも神父様でもいいでしょう、街に貼り紙を出すことも出来るには出来ます。
でもそれはあくまで、それに対してはあくまで、困っている女性を助けたいと思う方だけが財布の口を緩めて施しをなさるだけなのです。

困っている女性というのは即ち可哀そうな女性でございます、可哀そうな女性というのはどんな時にも必ず、援助者よりも可哀そうでなくてはなりません。

それがどんな事かお分かりになりますか?
常に演じ続けなければいけません、可哀そうな女性という役柄を死ぬまで。
援助者よりも保護者よりも庇護者よりも…とにかくこの世のほとんどの人間存在よりも可哀そうな女性は、哀れで弱くないといけません。
哀れで弱いというのは身体もさることながら頭の良し悪しや意志の力にも当てはまります。
意思薄弱で哀れで身体的にもか弱い女性でなければなりません。
恩返しは不要、あるいは感謝の気持ちの体現が恩返しなので、援助を受けたら常に…相手を好むと好まざるとに限らず感謝し続けなければなりません。
弱さと異なる一面を見せてはなりません。
間違っても株で一儲けしたとか、悪漢を怒号で撃退したとか、趣味に金銭を投じた等という面を見せてはなりません。
それどころか楽し気にしているのもままなりません。
楽し気というのが哀れさを連想させるような…道に咲く花を見て微笑むとかならば可哀そうな女性にぴったりの楽し気さが醸し出されるでしょうが、選挙で応援していた人間が当選しただのといった、姦しい政治宗教の話題はタブーでしょうし、勝ち負けで勝利の笑みも駄目です。
強欲さが垣間見えるような楽しさも厳禁です。
かと言って神経質そうな笑い声も出してはいけませんし、それに相反するようですが仲の良い男性と談笑するなどもってのほかなのです…少しも鼻につくところのない聖女の微笑みを求められることになります…ねえ…人間の女にそんなことが出来ましょうか?
それに金銭的援助につきものなのは肉体関係です。
ああ、お父様とお母様の前で恥ずべきことを言うのをお許しくださいな…それならばこのまま売春し続けたほうがよほど綺麗さっぱりとした援助関係に収まるのです。
下手に身体よりも崇高な何かを投影されて、その投影に対して資金援助すると言うのは…恐ろしい事です。
奴隷になるというようなものです。
それも不特定多数の人の投影を演じ続けなければならないのですよ?

だって可哀そうな女性なんて本当は何処にも居ないのです、幸福な女性も何処にも居やしないのです、これが女性という幻想の、現実的限界なのです。

女を助けるのと、男を助けるという事…女性にする親切と男に対しての礼儀や真摯さとは、根本が違うのです。
殿方はそれがどんな方であれ基本的には良くも悪くも同じ男でしかないのです、この点で助けられる側の男性の愚鈍さや残忍さは許されてすらいるのです、女がイブであると咎められる存在であるのは…女というもの自体が幻想に過ぎないからです。
だから女を助けるのも、助けられるのもまた難しいのです。
助けたのに助けたはずの『可哀そうな女性』ではなかった、裏切られたと罵られずに済む女などこの世に存在しないのです。
アイドル、偶像と同じで存在しない心身状態を演じ続けられる人間など居ないのですから…ごめんなさいあたくし、お父様とお母様の提案は却下いたします。
辛くても、今からお客の所へ行かなくては…神に背く娘を、どうぞお許しください、夜は遅く帰りますから蝋燭は消しておいてくださいな。