超正統派の学校は大事なことを教えてくれる。でも一番大事なこと…和解の方法だけは世界中の誰も教えてはくれないんだ。超正統派の学校は僕の父さんも行っていたし祖父もそのまた祖父も通ってたんだ。メディアは悪だとは言わないけど不要なものが多いからある程度遮断されているのは僕の気質に合ってるんじゃないかな?この前まではそう思ってたんだけどカシェル用の制限付き携帯に学校から連絡が入って、何でもこの疫病状況にて休校になるらしい。帰り道に寄ってたお菓子屋さんにも行けないし、そこで内緒で落ち合う余所の友達にも会えないからこっそりやらせてもらってるあのゲーム画面もしばらくはお預けかあ…そんな事を考えながら家に帰ったら兄さんも居て、兄さんはどうやら超正統派以外のネット閲覧をしちゃってたらしく家の中はこのエルサレムの街同様爆発寸前だ。父さんの怒号と兄さんの反発、狭い台所で母さんは泣いていた。超正統派用の流しは二つあって乳製品用とそうでない方、母さんの涙はどっちに流せばいいんだろう?そんなことは律法には書いてないよ。祭日によって使う台所が違うなんてとよその人は思うかもしれない。家の中に閉じこもってると表面上は髭面黒服律法厳守の男たちの内面が見えてしまう。この前はそれでもなんとかハヌカのお祭りがあって蝋燭の灯ですべてが収まったかのように見えたんだけど実際はね、言葉にすることも躊躇われる全てなる御方が全てをお見通しであるならば全てばれてるんだ。本当の選ばれし民はあまりにも少なく、僕も兄さんも事によると父さんもそれには該当しないんだ。ある一つの掟によって別の掟を否定しなきゃいけないっていうこの現象を、無気力や無関心以外にどうやって乗り越えるかを世界中の誰も教えてはくれない。家の中に選ばれし民とそうでない人が居て、でも血族的にも超正統派の家系に属しているのを僕らのラビも認識しているのだから、ラビにそうだと言われれば頷くのが僕らだと超正統派の学校では教えてくれた。教えを軽んじたいわけじゃないんだ、でもこの場合母さんの涙は何処に属しているんだろう?僕の家はいくつもの真実が混在するこのエルサレムの街そのものなんだ。兄さんは狭い教義を抜け出したいと言う。じゃあ広い教義って何?何を以てして広い教義って言えるの?ラビたちは律法通りに街中から帰宅したら全身を水で清めれば疫病にはかからないって言う。女たちの髪の毛にウイルスが付着しているからカツラを被れと言う。僕らの聖典には手を洗えと書いてあって、理屈で考えてもそうなんだけど新しい教えの書物には清めは手を洗えば済む事ではないから手は洗わなくてもいいって書いてある。そんな風に兄さんは言って、僕はやりきれなくなってやっぱり母さんの方を振り向くと、母さんときたら涙で手を洗ってる。僕は言いつけ通り聖典に針を刺して刺し貫かれた箇所…数百ページ以降先の箇所を見事に暗唱してみせる。大事なのは祈りの…実践だと、超正統派の学校は一番迅速に幸福になる方法を教えてくれたけれど和解の仕方は教えてはくれないしどんなラビにもそれは出来ないんだ。僕らは僕らで在るっていうことだけで満たされているこの至福の状態を外部からとやかく言われる筋合いは無いはずなのに僕は、兄さん同様たぶん家を出るしかないのを今から予感している。母さんはその事でまた泣くのだろう。だからエルサレムの街は本当はいつも雨なんだ。誰かの涙が流れている。無理解の涙が流れている。それでも聖なる都を出ざるを得ないのを、真実を生きるには異邦人になるしかないのを僕はもうわかっている。
散文詩【超正統派の学校は】
