生命の定義というものが、外界との間に膜があって個体が保たれており、尚且つ循環機能を備えていて複製を作る事だというのならば…死の定義は何なのだろう?
個体という表皮を脱ぎ去る事だろうか?
男は生まれた時から粉を吹いているような子供だった。両親は乾燥して皺だらけの老人めいた赤ん坊の有様におののき、数時間おきに祈りながら保湿クリームを塗って神に赦しを請うた。外界との境目の薄いこの子供の心はまだ天国に在るようで、痒さに泣く一方で人工的な皮膜を作られるのを酷く厭うて癇癪を起した。司祭はこの種の赤ん坊とその両親…神の罰を受けたかのようにうなだれるか自分の子供は特別だと阿呆のように繰り返すかの両極端に分かれる…この親子に限っては前者であった…彼ら泣きはらした経産婦とそれをどうやって慰めていいのか途方に暮れている若い男とを熱心に祈りへと導いた。
「でも私たちは共に、生まれたころから祈ってます、それなのにこんな罰を受けるなんて…」
そう言い返す母親に司祭は言った。
「この子は特別な十字架を背負っているのです」
司祭の説得もむなしく、絶え間ない痒みに侵される我が子を見続けることに耐えられなくなった夫は家に寄り付かなくなり、あえなく夫婦は離縁した。それがために教会へ足を運べなくなった母親は神父の元を去り、代わりに藁をも縋る思いで牧師の運営する別の宗派へと重い気持ちで訪れ、それでも同じ十字架を心に留めているのだと自らに言い聞かせては言葉ならぬ言葉で祈りを捧げるのであった。
「僕は木になりたかった、澄み切った川の岸辺に生えている一本の木に、根を張り巡らせて風にそよげたらどんなにいいだろう?でも木になった僕もやっぱり皮が剥けているのだろうか?皮がポロポロ剥けているから鳥も僕の木は無視して通り過ぎ、どんな動物も巣を作ってはくれないかもしれない、巣って言うのは家の事だ、僕自身が沢山の生き物の家になりたい…でも僕の家は…お母さんは祈り方を変えなきゃならないって言ってたまに泣いているけれど、それはお父さんと離婚したせいだって言う、離婚すると神様に顔向けできなくなるのはおかしいよね、神様はそんなことちっとも気にしちゃいないだろうに…言葉も何もない木が祈っていないってどうして言えるんだろう?木は祈ってる、世界は木を切ってどうするんだろう?ああ、やめてほしいそんなことは、僕は人間として生きているのが嫌になる、人間が居なかったらどんなに世界は綺麗だったろう…」
道徳の時間に知らされた世界の事実によると世界中で木は伐採されているらしい。肌の剥けた少年はそれを思うとまた反射的に体を掻きむしった。成長しても身体は粉を吹いていて、周りの子らは初めのうちそれを気にしないようであったのに歳を重ねるごとに段々と遠巻きにされるようになった。少年自身はそれを粛々と受け入れ常に頭を垂れて一人神の思し召しに身を委ねている様子であった。周囲の子らは彼をこう呼んだ。
「居るのか居ないのかわからない子、木みたいな子」
言葉ならざる声で祈ることに慣れたこの内気な少年は、無意味な言葉…すなわち人間同士の間に交わされる言語を口にするのを拒んでさえもいる様子であったので滅多に言葉を発さなかった。事実言葉には嘘が含まれると少年は内心確信していた。
成人した赤剥け少年は半ば成るべくして牧師になった。元来内気な彼は意外にも別人のように牧師然として言葉を発し、威風堂々と説教した。宗教嫌いの世論とは相反する不可思議な効力…言葉ならざる言葉で信者数を着々と増やしていった…。
惨劇が起きたのは精神や身体に種々の障害の在る…特に痛みや痒みといった症状に生涯にわたって苦しめられている人々を厳選して連れて山脈に瞑想合宿に行くという無謀な試みをした時であった。
山のふもとについた時の一行はまず短い祈りを唱えた。この、一見して苦悩を背負っていると判別のつくぼろきれめいた一群は、それからの道のりもまた何か賛歌のようなものを時折口ずさみつつ慣れない山肌をじりじりと登り進んで行った。それがカルワリオの丘への彼らなりの道行きであることを無意識下では皆わかってはいた。辿り着くべきロッジは見当たらなかったが彼らは寛大な心でそれを許し、日が暮れるにつれ寒さを増す山中でひと固まりになって言葉ならぬ言葉をひたすらに唱えながら目を閉じ、牧師の按手を受けて生命の眠りに就いた…翌朝には牧師を除く全員が安らかに凍死していたのだった。この事は生き残った牧師が直々に地元警察に事情を説明し、彼はそのまま素直に留置所に入るに至った。
「生きにくい人たちみんなが死を望んでいたはずがない、不自由でも生きたいと思っていたはずだ」
さて、法に携わる強靭な肉体を持つ者たちは口々にそう言ったが、故意なのか過失なのか…異端と言われている宗教法人の集団自殺なのか?それとも本当に遭難してしまっただけなのか?…何も言わずに微笑む牧師を陪審員たちも気味悪く思ったが、物証が無い代わりに確かに暖房設備の整ったロッジは実在していた。
かくして牧師は呆気なく無罪となった。
当の牧師は身体を掻きむしる時以外はどこか遠くの方から自らの裁判を傍聴している様子であった。拘置所に入れられている間も特段普段と変わらず、まるで長年そこにいたかのように振舞っては奇妙に優しく笑うだけであった。彼が唯一意見らしい意見を言ったのはたった一度である、それはこのようなものであった。
「僕は生と死をそこまで分けて考えてはいません。僕は遭難してしまいましたがその時には道に迷って山岳ガイドと出会えなかったのです、それで独力でロッジに行こうと考えてしまったのは軽率ではありましたが、繰り返しますが僕は生と死をそこまで分けて考えてはいません。よって彼らはまだ生きています、生きているのです。それと同時に僕たちは死んでも居ます。おわかりでしょうか?生きている人というのはほとんど時を同じくして死んでいるのです…それを完全に体現しているのが樹木です、人間は生きているということに固執しますがそれこそが障害や働けない人々の苦悩に繋がっているのです。役立たずと有能者の差を生んでいるのです、その差は無いに等しいと僕は言いたくて木々の多くある場所へみんなを連れて赴きました。…生きているという事はそこまで重要でしょうか?というのも死ぬこともそこまで重要ではないからです。わざわざ死ぬことなんて僕にとって馬鹿げているのです。これで僕が敢えて自死の手伝いや企画をしたのではないということがおわかりになりましたか?」
…牧師の男は思い返していた…あの時、自分は皆の中心に居て暁光を見ていた。言葉の無い瞬間であった。すべての言葉は失せ、教義すらもどうでもいいものとなり果て、明けの鳥だけが誰よりも尊き声で何かを告げ知らせているのを静かに聞き取っていた。自分と他人の境界である皮膚が青白く光り輝いて粉を吹いているのをはっとして見はしたがそれにすら頓着せずにいた。糞便を垂れ流して痛みに悶えていた知恵遅れにも霜が降ると途端に、顔は威厳に満ち、死の表情はまるで古のラビのようであった…出来る事ならば皆に服を脱いで裸に成れと言いたかったが男は何も言わずにいた。
裸になって穴を掘れと言いたかったがそれも言わずにいた。
すぐさま木々の養分となるべく己を捧げよ!!
そう言いたかったが自分は黙って一夜を明かしたのだった。汗と交じり合って肌は絶不調の極みにあり、血のにじむほど…といってもそれは自分にとっていつものことだったが…掻きむしったがもう肌そのものに感覚は無く、それがなんとも彼を安らかな気持ちにさせると同時に憤怒さえも生じさせているのだった。…普通の奴らは、いつもこんななのか?いつもこんなに楽に生きているのか?…出発時にとある哀れな子を持つ母親から素早く手渡された直筆の手紙にはこう書かれていた。
「あなたのような人ならば、十字架を背負った方ならば、私共の苦しみは知っておられるはずです、生きることは苦痛の連続です、それは概念や気分の問題ではなく如実な身体の痛みや不快感によってもたらされる実質的な苦痛です、健康な人にはわからない現実がここにあるのです、あなたの肌に血が滴るたびに私共はそこに神秘を垣間見る思いでした、苦しみは苦しみの体現者にしか理解出来ないものだから、あなたには、私共を導いてくださるだけの資格があるように思えたのです」
完全に凍り付いて彫像のようになった一同から這い出るとその手紙を破り捨て、一人で森の奥深くへと歩いて行った。
僕は木になりたいんだずっと、ずっと前から…そう言いながら現に裸にすらなった…が、一向に死ねなかったので、飛散したわずかな皮膚だけをそこに残し、やむなく着衣して車の音のする方へ歩いて行った、その時のことを牧師はひたすら思い返していた。
宗教法人の抜け穴として用意されたとも言える自称牧師の席に、無罪放免となってふたたび座した彼は自分が死ねなかったことを密かに悔やんでいた。
内心、まるで神から除け者にされたかのような感じを受けてしょげ返っていたのだった。言いつけ通りに信徒には相談事は直筆の手紙でと口酸っぱくふたたび教え、余計な澱の残るのをひたすらに避け、人前では携帯やパソコンに触れないように独特の努力を要してそれを実行した。こんなことは統制立っているカトリック神父だったら即刻破門だったろうなと彼は密かに笑った。
拘置所に入ったというだけでたぶん人前には出させてもらえなくなるだろう。
それを思うと両親の離婚によりお堅い宗派を追われ新興宗教へと流れ着いた事は彼にとって有利に働いていた。彼自身は声なき声の宗派に属していながらもその教義を内心特段注視していなかった。しかし世の中にはうまく喋れないという事に対する強烈なフラストレーションを感じる人が予想以上に多くいて、知的障碍者だけでなく失語症だの吃音症だのといった面々も続々とこの宗派に参入してくるのを見ると自分が何かの役に立っているようで嬉しくもあった。信者は増えに増えた。それというのも彼自身が常に粉を吹いて不具者めいた雰囲気を出しており、尚且つ相反する力強さで雄弁に人を勇気づけ、件の秘めたる理由から装う機械嫌いすらも好印象に映ったからだった。
彼はまた肌を掻いて思った。「あの時…あの山の中でみんなが死んだあの時には一瞬、痒みが止んだのになあ…不自由である苦痛は恥に由来するが痒みや痛みは罰に由来する、僕は罰を受けるようにして生きている人を天国に導きたい」
彼の決行した幾つものカルワリオへの道行きが世に知られることはその後無かった。
そのどれもがとても小規模な行いであったので誰も、一度に数百人の集まるミサでたった一家族が来なくなっているのを…たとえそれが二家族三家族ひいては数十人と増えようとも…誰も気にも留めなかったのだ。
ここは宗教団体であるし、皆ははた目には気の狂ったように言葉ならざる言葉を唱えているのだから…内側で誉れと讃えられ、この言葉なき声を唱えられればいっぱしの信徒と見なされる。しかしひとたび教会から出てしまえはそんなものの威厳は無くなるどころかそのようなものに寄り縋っていること自体が恥とも言えるこの奇妙な尊厳に信徒は寄り縋り、時に傲慢に、時に酷く自らを卑下し、自信とコンプレックスの間を行ったり来たりしているのだった。
外側の世界は自分たちに冷たいが内側の世界は暖かい、外側で何の権威も何の能力も無いどころか日々の生活能力すらあやふやで不快感や痛みにさらされているこの身が、集会に集まって祈りをあげると聖なるものへと変貌するのを不可思議に体感するのだった。
…醜ければ醜いほどに高められ、哀れであればあるほどに尊きものとなるのを…誰よりも愉悦を感じながら実行していたのがこの牧師であった。ひとつの宗派というのは大きな皮膜に包まれた内的世界であった、この皮膜がしっかりしていれば一人の人間が保たれるのと同様信徒は安心していられるのを、表皮の境目の曖昧な彼はまた誰よりもよく理解していた。辛さも苦しみもこの皮膜の内側では快楽でさえあった、そして彼は苦しみというものを言葉巧みに快楽に変えてやるのが人一倍巧であった…内心、自分が言われたいと思う事をただ独白していたに過ぎないのを彼自身は知っていたのだが…。
このアトピー男の哀れさを皆信用し、独自に悩みを相談し、かつての事件を暗に伝え聞いては自分たちもカルワリオへ連れて行ってくれと頼む者が後を絶たなかった。
もう何十回山に行ったろう…単なる知恵遅れや精神薄弱等を彼は連れて行かないばかりか強く励ました。その様子からするとこの男が自殺ほう助をするような人間には到底見えないのだった…彼が苦悩の手紙に対して牧師館に特別に呼び寄せて登山計画を立てるのは、最早神の罰を食らっているとしか言いようのない、曲がりくねった関節による痛みに常に癇癪を起している白痴とその親だとか、常に痛みを伴う難病に侵されて何十年も耐えている孤独で偏屈な高齢者や、自分と同じように成人しても尚小児のレベルに脆弱で敏感な皮膚を持ち常に痒みに耐え、痒みの発作の後には髄が発光するかのような眩暈と脱力の牢獄を生きる罪びとだけであった…一般医療に於いては難病だとか重病とされるものであっても痛みや痒みが無いのであれば彼は生きよとしか言わず、代わりにありふれたものであってもその程度が重ければ…そして成人しても治らない場合のみ、無言で死出の旅路の日程表を手渡すのだった。
この死の巡礼の本質的なところは彼自身がその都度本気で一緒に死のうとしているところであった。
しかし自ら雪山で裸になろうともその肌から血が流れようとも、化膿し透明な血が常に身体と衣服とを貼り付けさせていてもそれが遭難時に凍り付こうとも…男は何故か生き残り、仕方なしに自力で、誰にも知られないように牧師館へ戻って行くのだった。
全てが計算されていたために家族や人々はただ単に失踪したと見なされた。
はや死神となりつつあるこの男の所業が法的に暴かれることは無く、彼は凍死寸前の心身の安らぎを求めて定期的に死に挑んでは天国の門前で撥ね退けられ、嘆いているのだった。
「みんなで合宿をしましょう!」
秘密裏の集団自殺事件発生から干支が一周する頃…いつのまにかそのような話になったときにはじめて、牧師を称する男は狼狽えた。
既に自分以外の登山者は全て粛清されていたので、彼自身が山に登るのに慣れているのを知る人間はこの世の教会には居なかったのである。最後のカルワリオ行きからも数年が経過していた。それなのに回って来た御鉢に対し男は散々に渋った。生き生きした信徒を前に後ろめたさがどっと迫って来た。
「道に迷ったら大変ですし、山は夜は結構冷えますから…」
今度の合宿がいつもと違うのは参加者が死に赴くのではなくさらに生きるために、よりよく生きたいがために森林の中で祈りたいという切実な願望を抱いている事だった。
…当日の朝になっても嫌な気持ちは拭えず、いっそもう棄権しようかとも思ったがさすがに長年群衆を率いてきただけあって彼は断り切れなかった。
この人らの生命を守らねばならないということが男にとっての重い十字架となり、この行軍は彼にとってまさにカルワリオさながらであった。彼には分っていた、およそ宿命としか言いようのないものが自分には染みついてしまっていて、どうしたって死の方へ引きずられてしまう事を…。
獣の声の遠く響く中で一行が、まるで死神に導かれたかのように本当に迷ってしまったときにはその重みは耐えられないものとなった、本当に今死と対峙しているのだ。本当に今、生きたいと思っている人たちが死に対峙しているのだ…山は、森は、木々は、樹木は…男は静かに考えた。
僕たち人間を養分としか見ていないのではないか?
人がその肉体の境界線を越えた時に…生物の定理を超えた時に待ってましたとばかりに喰らいつく、化け物のようなものなのではないだろうか?
保湿クリームを塗りながら男は震える手で初めて救助隊に連絡していた。
彼に付き従う事に慣れている子羊たち…信徒たちは楽観している様子だったがこの牧者はまさに自分の生み出した悪魔と対峙していたのだ。どうにかなるだろうとは経験上微塵も思っていなかった。夜の山は予想を超えて命の内部まで入り込んでくる、常に痒みを感知する呪われた髄にまで…だから痒みや痛みは山中の自死寸前に於いて綺麗に消え去るのだ。
痛みや痒みまでもを菌や土や樹木の生命が髄に食らいついて食べてしまうから…嫌な予感は的中し、救助隊と連絡が取れているにも関わらず助けは深い峰の裏側に至ることが出来ずに居るらしい。
「なんとか一晩耐えて下さい!」
携帯電話を通して聴く救助隊員のその無機質な人間語は、まるで宇宙の外側からの声のようであった。
沢の近くにみんなひとかたまりになって寒さを忍んでいたが夜半を過ぎるといよいよ意識を失うものが現れ始めた。その時初めて…おそらく男は生まれて初めて、生きたいと願っていたのだった、皆を生かすしかないと切望していたのだった、背後でざわめく木々たちの声がしたのはそのさ中であった。
絵と呼ぶには立体的過ぎる何か緑の幾億万ともつかぬ糸のようなものがありとあらゆる形や道筋を形作っては消え、また新たな図形を象るのが、唐突に男の脳裏に次々と鮮明に映った。
その映像は映像であると同時に骨の奥深くを揺さぶるような歌声でもあるのだった。
葉脈めいた映像を通じてそれが木の声、想像もつかないほど多くの木々の声であることを理解した男は恐れおののいて地面にひれ伏した。
…木々は低く笑っているのだった…
『どうした?男よ、いつもは死にに来ているのに今日は生きたいのか、その個体を維持したいのか、個体の膜を破り捨てても光る小さな粒となって生き続けることをお前は知っているはずじゃないか、今回の人々といつもの皆はどう違うのだ?誰が生きるべきで誰が死ぬべきか本当に選別できると思っているのか?』
あまりにも髄に直接的に響く樹木の深い歌声に男は気を失わんばかりになった。
その旋律はまさに神秘そのもので、体中が緑に染められ、かつて望んだように自分がその場で木に変換されてしまいそうだと男は感じ、相反する恐れと至福とに震えていた。
…だが同時に酷く恥じても居た、言葉ならざる精霊の言葉などというのが単なる夢遊病患者のそれに近い状態に過ぎないただの演技であることを元々勘づいていたものの、本当にそれとわかる言葉を超えた言葉ならざる言葉の威力の前には…今までの自分が幼稚園児のお遊戯並みのごっこ遊びで人々を仕切っていたことを認めざるを得なかったからだ。
酷く悔い、恥じ入る気持ちが湧いてきて、この神秘現象の前に倒れ掛かりながらも彼は赤面しているのだった。
恥のせいで至福に至れないのを後悔しつつ彼は辛うじて木々の声に問いかけた。
口を開く必要すら無い。
声を発する必要すらないのをわかっていたが何らかの責任を感じてきちんと人間としての言葉で問いかけた、体温が徐々に奪われ、最早唇は動いていなかった、声は出ていなかった…。
「道を知りたいんです、助かる道を」
一行が奇跡的に生還した後、すっかり憔悴した男はミサで言葉ならざる声を唱えなくなったばかりか憮然としてこう言い放った。
「正直に告白しますが今までのは遊びでした。あんなのは、精霊の降りてきた振りに過ぎませんでした。僕は本当の神秘の言葉を山中で聞きましたが…あれは人間に出来るものではない、他より特別なことが出来るからって何の意味も無いんです、精霊の賜物が来ようがそうでなかろうが、どっちだって神は許されています!痛みがあろうがなかろうが同じことです!障害があろうがなかろうが、神には…いや、自然には全くどちらでも同じことなんです…!!すべてすべてすべて同じことだったんです…!!」
改めて言うまでも無く、世の中から虐げられている人々の保護と権威を保つ密かな憩いの地という看板を自ら打ち壊した牧師の元には最早誰も来なくなった。
慰めを得られない人間の元には誰も寄り付かないのだった。そして言葉や慰めそのものに宿命的に嘘が含まれているのを男はよくわかっていた。
殊に嘘をつかない指導者の元に人間は来ない。
星の踊る凍てつく夜、ついに人間世界に微塵も必要とされなくなった男はふたたび最後の登山を一人きりで決行した。彼がその個体操作の最後に赤剥けた素裸で手を広げ、生まれたころから自身を苛む痒みや全身疲労をついに脱ぎ去り、歓喜の叫びをあげて深い森へ分け入っていったということを知っているのは木々だけであった…。
男はやがて痒みの発作後にもそうであるように髄を密かに発光させて息絶え、今まで外界との境界線としての役目を生まれ出でて一度もまともに果たさなかった役立たずの皮膚は脆い菓子のように砕け散り、種々の養分は化膿した表皮を押しのけてその肉体から溢れ出た。根を伝って彼は細かく山の四方八方へと運ばれた。その不可思議な死生の旅程の中で幾たびも自国の神話の根の国の話や黄泉の世界の概念などを思い返しては感嘆し、土中に分散しても尚男は自我を保って木々に問いかけたり一緒に歌ったりしていた。やがて山脈中に広大に広がった男はその一かけらの意識を…物質的にもわずかな養分という形をとって川辺の木に宿した。
よって今でも表皮を脱ぎ捨て個体を脱した男は、澄み切った川の岸辺に生えている一本の木に生きているのだった…それも見るからに丈夫そうで鳥の巣の在る涼やかな木となって、根を張り巡らせて峰々の他の植物たちとおよそ人間には想像もつかないような巨大な意思伝達のただ中で朗らかに歌ったり喋ったりし、静かに風にそよいで…生きているのだった。