天国と地獄は同時に存在している

少し見苦しい内容だが、こんなことも現実には起こっているよという記録としてこれを書く。

最近ゴミ拾い中に特定人物に待ち伏せ行為+つきまとい行為をされるようになったので、そのルートは知人に同伴してもらいながら歩くようにし始めた。初めのうち、この知人も私の言うつきまとい行為について半信半疑だったようだが実際に同行してみて如実にそれと気付き、とても深く同情してくれたし警戒してくれるようになった。よかった…と、喜ぶというのも変な話なんだが、この手の嫌がらせについて一番堪えるのは誰にも信じてもらえない状態だ、嫌がらせ行為以上にそっちのほうが辛かったりする。

以前、ゴミ拾い中に真昼間に家まで二時間ほどつきまとわれたので警察を呼び、まだウロウロしていたその人に直接注意をしてもらった事がある。そいつはそれ以来この近辺に来なくなった。なのでもうつきまといは嫌だと思い、去年の早春あたりから早朝に時間を切り替えていたのにまた別の奴からつきまとわれるようになり、辟易している。この人物はこの前ブログに書いた嘲笑をしてくる人物とは別の男で、壮年。待ち伏せにまで行為が及んできたので嫌ではあるが、壮年なだけあって家にまでつきまとったり、直接的にセックスに持ち込もうとする気力は無いらしいがその分憎悪があるように思える。それでも憎悪の視線、しつこく振り返る事、待ち伏せ等のために…しょっちゅう警察を呼びたくはない。なので知人に事情を説明し、付いてきてもらったのだ。

私は幼少期から大人になるまで大体半年に一回は襲われてきているので(だから概算するとかなり犯罪(性的な)に遭う確率が高い)、こっちももう逆切れ状態というか、これ以上逃げ回るのが嫌で嫌で仕方が無い。

つきまとい行為をする人間は大抵無言である。声かけ事案に引っかからないようにしているのかは不明だが、『自分は悪くない』というのを念頭に、執拗に追いかけて来る。で、こっちも暴言を吐かれたりしたわけではないので唐突な反発行為をしにくく、よって耐えねばならない場合が多い。

これをお読みの方には男性も居るだろうし、このような現実が空想じみて感じられたり、『歩く道順が同じ時間、同じルートに重なってしまっただけではないのか?』『過剰反応なのではないか?』と思って居る方も居ると思う。

ハッキリ言うが全く別である、別モノである。歩く道順が重なるなんて当たり前にあるし、家が近所の場合(近所を散歩したりゴミ拾いをするのだから皆近隣の人だ)家の近くまで背後を追う形になることくらい頻繁に起こる。そんなことぐらい毎日起こる。

ただ、つきまとい、待ち伏せ、執拗に振り返る、あからさまにこちらを凝視、こちらにアクションしてくる等の行為は…やられてみればわかるが、『やられているかも、見られているかも』などと言った漠然としたものではなく完全に『こいつはこちらを人間だと思ってない』のが解るくらい、如実なものだ。目の前で中指を突き立てられたら誰だって侮辱されたのに気づくだろうが、難しいのは、目の前で中指を立てられた事のない人には『侮辱されること』の意味さえもわからないということだ。

…私もこの悩みを考えるのは辛い。私の言うのは特定個人による嫌がらせであって、みんなが自分を見ているとかそういう視線恐怖症や精神病的なものではないのだが、そのように受け取る人もあると思う。侮辱された事のない人には理解出来ないと思う。

だが不幸中の幸いで、今回は知人に『あいつのやっていることはおかしい』と解ってもらえたのでほっとしている。もうこれだけで全てが済んだようにさえ思う。苦しみというのはたった一人の理解者さえあれば根本的には解決したも同然だ。

さて、襲われる、付きまとわれるというのは=リンチされる、カツアゲされる、いきなり殴られるのと同じだ。

決して性的魅力にまつわるツケのような事象ではない。
『ナンパされやすい』のと『つきまとわれやすい』のは全く別モノだ
『告白されやすい』のと『いじめられやすい』くらいの差がある。
単に喧嘩に弱そうなので付きまとわれやすく、弱そうだから襲われやすいのだ…じゃあ強そうにすればいいじゃん?と私も思うが、杖をついている身としては最早体質の限界を感じている。

杖をついてゴミ拾いだの何だのといった活動をするからつきまとわれるんじゃないか?当然じゃないか?という見方もあるかもしれない。
だが当方幼少期からのアクシデント発生率を考えると『おそらく何をしようがしまいが、ただ歩いているだけで狙われる』という絶望的な演算結果が一番的を得ている気がするのだ。

それにこの考えを突き詰めてゆくと…女性がゴミ拾いをするのが悪い、散歩に出るのが悪い、通勤するのが悪い、外に出るのが悪い、常に気を引き締めていないからこういう目に遭う、といった『女がアクションする事に対する根本的否定』にしか辿り着かない。

人間を受け身にさせる解決策は解決策ではなく、単なる加害者擁護である。


なのでむしろ逆に、やると決めたことはとことん死ぬまでやり抜かないと『人生の勝負に負けた気がする』し、この程度のことで挫折したくない。

もう逃げ回りたくないのだ。

とはいえ向こうは私という物質存在との接触だけで極度に興奮する神経回路を構築しているらしいので、考えに考えて、その特定人物の居る時間帯はこちらも把握しているので、仕方ないがその時間帯にはその道に近寄らないようにする道順を編み出し、物理的には逃げる事に決めた。ちなみに回避している特定人物は彼だけではない、あからさまに暴言を吐く奴、意味不明だが手を叩く奴等、花壇の世話をしていると強引な下ネタを無理やり話しかけてきたりする奴が居る。敢えてこういう書き方をさせてもらうが彼らは健常者で、完全にこっちを舐めており、加害するということにだけ愉悦を見出している人間だ。なので男性の前では普通の奴を演じているのだろう。

もっとも…待ち伏せまでするのは今のところ冒頭の奴だけなので騒ぎ立てる気はないが、私には、男には一定数、どうしても女を虐待しないと気が済まない性分の人間が居るのだと感じられる。見分け方があるとすれば…どういうわけか示し合わせたように全員すごくダサいということくらいだ。女(私)がオシャレな男性に惹かれるのもこういう生命の摂理の所以だろうと合点がいく。


つまり曜日別ゴミ拾いルートはこういう奴等を回避する為に練りに練られている、自分でも意味の解らない闘いをしていると思うが…散歩や通勤などのルーティン行動でも、おそらく同じような目に遭うのはわかっているので何もゴミ拾いだからと言って道順を変えているわけでもない。

こうした体質故に完全なひきこもりになっている(主に)女性も結構居るんじゃないかと私は感じている。

私がひきこもらずに(私の状態をひきこもりだという人もあるかもしれないが)居られるのは、このような負の人間と接する割合よりも、ゴミ拾いや花壇維持等で圧倒的に感謝や優しさなどの聖(正)の念を、多くの人から受け取っているからに違いない。
人から受ける感謝の念のすばらしさ…そのあとに奈落に叩き落されるようなつきまとい行為、どっちも人間から来るものなのだ。

※話が少し逸れるが、こういった体験を仏教系宗教の人に言うと大抵カルマのせいにされ、完全な【精神論による被害者叩き】が始まるのは本当に勘弁してほしい。
魂が個別進化を遂げ、尚且つ時間というものが一直線上に進み、さらに事象というものが因果に縛られたものであると仮定した場合にだけ作用する精神論からいい加減目覚めて欲しい。
というか、精神論を重んじているならば、仮にカルマというものがあるにせよ、水に落ちた犬を叩き続ける行為にさえカルマが生じるということに何故気付かないのだろうか?

天国と地獄は同時に存在している、しかし天国の方が比率が圧倒的に多い、それだけが私がこの世で掴んでいる真理である。
これからもゴミ拾いは続けてゆく。