早朝、花壇の手入れをしていると、いつも挨拶をするご老人と、あまり面識のない初老の男性が通りがかった。いつも通りに挨拶を交わしてからしばらくして、初老の男性もこちらに話しかけてきた。このような時に私は内心、話しかけてきてくれた事に感謝する。古今東西初めて話す人に自分から声をかけるのは勇気の要る事だ。ご老人もこの様子を傍で微笑みながら覗っている様子で、何とも心休まる朝のひと時…だとその時までは思って居た。
初老の男性が、不意に、花壇に植えてある花を一輪くれないか?と申し出た。その堂々とした様子、明るい調子に私は『奥様へのお土産にするのかな』(このあたりの高齢者にはそのような感じの人が一定数居る)と思い、どの花がいいかと彼に聞いた。すると彼が選んだのは花壇の中では結構な大輪の花だった、ほほうお目が高い…まあ、花好きな人間にやるのであれば一輪くらいはいいかと思い、剪定ばさみで切って手渡すと…彼はいきなりその花を毟り出した。
隣で見ているご老人も呆気に取られている、無論私も唖然とした、新手の嫌がらせか?
こちらの見ている目の前で花びらをある程度千切ってから、その初老の男性は今度はそれを目の前の川に向かって放り投げた。
三人そろって呆然と落ちてゆく一輪の…花びらを毟られた花をぼうっと見ていたあの数秒間を何と喩えていいのか未だにわからない。
初老の男性はくるっとこちらを振り向くと、屈託のない様子で「子供のころに、ヘリコプターごっこと称し、花びらを毟って花を投げて遊んでいた」と笑いながら話した。確かに回っていたような気もする…あたしのコスモス…いやでもそんな事の為に【かなり綺麗に咲いていた一輪】を選ぶなよ、と思いつつも私は気が動転して笑ってしまった。
断っておくと、私が笑わざるを得なかったのは彼とは初対面だったからだ。仮にいつものご老人がこんなことをしたらさすがに「だったら次からは枯れかかっている花を選んでくださいよ、勿体ないでしょ」くらいは言ったと思う。しかし初対面で話しかけてきた人を無下にするのは私の道理では間違っている…ような気がしたので、一輪くらいならいいか…と思ったのだがやはりすごく不快である。ただ、不快ではあったが不愉快ではなかったのだ、彼には悪気が無かったから。そして彼は友好を求めている事をわかっていたから。
とはいっても事の次第を第三者として見ていたご老人はすっかり興ざめした風で、頭を振りながら無言でその場を立ち去ったし、出来る事なら私もそうしたかった。
ふと、アスペルガーってこんな風な人を指すのかな?と思った。それと同時にアステカの民話を思い出した。
中世メキシコ…ある少数部族が、強大な力を誇る部族の娘を褒め称え、是非とも祭りで神を崇めるためにお借りしたいと申し出た。強大な部族からすると、脆弱な部族がようやく自分たちに隷属するように見受けられたし、娘を誉めてきたのも友好的であった…かくして強大な部族の王は自分の娘を祭りの巫女のような役割として一定期間、少数部族へと送り出した。
さて、祭りの当日になって、強大な部族の王は自分の娘がいつ踊りに出て来るか楽しみにしていた。これは部族同士の絆も深まるし良い事だとその時まで思って居たが…なんと、娘は生皮を剥がされ、少数部族の若者がその生皮を纏って舞台で踊っていた。
少数部族の長は「娘さん、綺麗になったでしょ?娘さんの生皮を被ればいつまでも娘さんは綺麗な姿のまま祭りに参加出来るんですよ、素晴らしいですよね!」と意気揚々と強大な部族の王に語りかけた。
言うまでも無く、娘を殺された王は怒り狂い、内戦状態となった。そしてこの少数部族はテスココ湖の湿地まで追いやられ、そこに都を築いた…。
友好のつもりで行った行為が相手の神経を逆撫でする好例である。
ちなみに私は女でこういう人を見たことが無い。性根がひん曲がっていて、敢えて天然のふりをして人を傷つける人なら居るとは思うが、本当にいい事だと思って相手の物を物理的に壊したり、木っ端みじんにしたり、それでいて尚悪びれないで友好を求めて来る女性というのは三十余年生きてきて見たことが無い、居たとしたら天文学的な確率で相当珍しい人だと思う。
まあそれでも、たかが花一輪であるので、あんまりその人を悪くは言いたくないし、こうして書き連ねる事すら無粋だし野暮だと思う、が…あまりに驚いたので気持ちに整理をつけたかったのだ。
とはいえ、その日は元々つきまといを受けていた曜日であり、それを回避するためにゴミ拾いを延期し、花壇手入れに充てていたので、花一輪でつきまといと接触せずに居られるのであれば御の字かもしれない…ひょっとすると花が身代わりになってくれたのかもしれない。