ワクチンやコロナといった現象は、内なる女性原理への問いかけなのではないか?

コロナや、特にワクチンについて思うのは、これは女性概念への問いかけなのではないかということだ。こう書くと何だか古めかしい言い回しになるのだが、男性原理と女性原理の融合がどこまで進んでいるのかという問いが、世界規模で実施されているように感じられる。

ワクチンを注入すると抗体が生じるらしいが…。

異物を体内に注入し、そしてほとんど高確率で身体に変化が生じる…これはまさに女性の妊娠現象に近い。この事を多数から強制されてやむなく受け入れるのか、あるいは周囲と自分の平穏の為に進んで受け入れるか、あるいは心身の根源的な【NO】の声に従うか…ちなみに心身の根源的な理由なき拒絶にこそ、生命の取捨選択の理が宿っている。

この取捨選択の理を重要視するのか否か、いわば自らの女性原理がどのような立場をとるのか。これは実際には男性であっても、その人が自分の内側に宿る女性部分をどのように見ているのかが現れる。

私個人としては特段ワクチン反対派というわけでもない。何故かと言うとワクチンが体質に合う人も必ず居るからだ。無論、ワクチンが合わず副反応で死ぬ人間も居る…当たり前だ、人間や生き物が一つ一つ独立した身体を与えられている以上持っている資質は十人十色だ、みんながみんなワクチンに合う体質なわけがないのだ。あと、植物を育てていると、ウイルスや雑菌というものも身体を構成するひとつの要素と言っても過言ではないと感じるので、滅菌だとかウイルス撲滅といったキーワードが甚だ馬鹿らしく聞こえるのも事実。

コロナにすごく弱い人も居ると思う…とは言っても我が国では持病ありの後期高齢者が亡くなる病でもあるので、最早それを寿命ととるべきか流行り病と称するべきか謎だが、ころりと死ぬ人も居ると思う、そういう人で、尚且つワクチンが身体に合う人にとっては、ワクチンは生き延びるための善きお守りとなろう。でもちょっと前までぴんぴんコロリとかそういう『すぐ死ねる事を喜ぶ』言葉が流行ってなかったっけ…??まるでこの言葉によって生じたかのような死の天使的なウイルスが何故ここまで忌避されているのかが私にはよくわからないのだが…。

話は戻るが、ワクチン推奨派で尚且つワクチンパスポート導入を目論んでいる人は、ちょっと独善が過ぎると思う。自分に内在する女性原理を抑圧していると思う。ワクチンを全人類に打つべきだなんてことは、言ってしまえばそれは…生々しい話で恐縮だが、「一人(あるいは数人)の男の精液が全ての女に合致するはずだから全員に注入させろ」くらい、生物的に無理な話であって、当然の如く近親者の場合は負の遺伝子となるので身体に害を及ぼすし、アレルギー反応が起こるだろう。確かに合う人には合うものだと思うがこの世のすべての女にとって望ましいものには到底なり得ないことくらい、生命体として生きていて肌感覚でわからないもんだろうか?

それを全く欲しくない、むしろ金を払ってでも遠ざけたい、生理的に無理、しかも強要させられ、それを体内に受け入れないと罰せられる…みたいな制度を導入するのは、文化的には中世ヨーロッパの初夜権くらい気持ちの悪い、人道に反したものであることくらい、わからないのだろうか?

仮にコロナという病の死亡率が二人に一人とか、本当に人類存亡の危機にあったとしても、それでも私は『ワクチンを強制してはならない』という考えを持っている。

言い換えれば、『俺と寝ないと一族を滅ぼすぞ』と言われたとしても、各人が嫌だったら、拒否する権利があると感じているのだ…そのために大勢が死んだとしても、身体への権利は一人一人が一人一人として生まれた以上、各人に委ねられるべきである。
繰り返すが、ワクチンが身体に合っている人も居ると思う、だからワクチンが毒だとか、陰謀論云々とは考えていない。しかし善を強要してはならないし、拒否した人が悪いみたいな文化を私は好まない。そして第一に病気というものは何かのバランスの乱れであるし、生物のミクロな信号の表れであり、常に変則的なものである。だから流行ったり廃ったりする…病気やウイルスそのものを悪と見なす事自体が間違っているような気がしてならないし、ものすごく長い目で見れば、たとえ大多数がウイルスで死のうとも、独自で抗体を持つように進化、特化した種が生き残るのであればそのほうが生物として強くなれる。

じゃあアナタはウイルスをばら撒く人によって自分がコロッと死んでも文句の一つも言わねえのか?

…そんな風に思う人もあるかもしれない。ハッキリ言って特段文句は無い。人為的ではないからだ。それに私の人生では割と頻繁に死にそうになることが多かったし、故意に殺されそう(犯されそう)になることもあった。今年も麻酔薬で死にかけている。だからというわけでもないが、死ぬときは本当に目の前に幕が下りるような感じで、特に怖くはないとわかっている。気が付くと広大な景色を見ている【大きな自分】みたいなものに直通する。【大きな自分】というのはもしかすると【この世の全員】あるいは【あの世の全員】と繋がっている集合意識の領域かもしれない。ともかくそういう意識から、小さな小さな…車の中のたった一人の自分…というものを、懐かしむだけなのだ。勿論その米粒みたいな小さな自分が、矮小だからといって無価値だという訳でもない。今の自分は何処をどう探しても死んだらもう二度と居なくなる、再生不可能なのは確かだ。それを惜しむ気持ちもあるが、大きな意識は常にあるので特段寂しくはない…というような事を体感しているので、文句は無い。

しかも…先にも述べたように、ウイルスそのものも生態の一部であるので、仮にコロナを撲滅出来たとして…おそらくそのしっぺ返しはとんでもなく高くつくと思うのだ…。何世代後かはわからないが、あまり脆弱になり過ぎると、本当に酸素ボンベを担いで生きなければならないほどに身体器官が弱まってしまうと思うし、身体というものが【外部からの悪にとても弱い】という負の刷り込みが起きてしまい、この思い込みによって本当に身体が(一時的、表面上)弱くなってしまうと思う。それに、一つのウイルスや一つの虫を拒絶する気持ち自体が病気だと私には思えてならないのだ。ここでも女性原理の【過剰な拒否反応】を連想する。

『有害なものがひとつもない世界に生き物は生きられない』のだ、生物の根源的矛盾を人類には受け入れて欲しいと思う。

私個人では今のところワクチンは拒否、他人への強要もNGだ。マスク着用についても、総書記様が喜び組に紅い下着を着ないと死刑だみたく言われて、善良な喜び組で居たいが為にしぶしぶつけているような状態に過ぎない。そしてマスクも堂々と拒否している人は、おそらく【自分の中の女性原理の声】をすごく大切にしているのだと思う。そういう意味ではとても尊敬すらする。私は現実的には殿様好みの下着を着用せよと命ぜられたら保身の為にホイホイ着用してしまう浅はかな人間なのだと最近痛感している。マスクについても本当はNGだと思って居る、夏場にマスクしてゴミ拾いとか何の罰だ、と思うくらい数分で頭が重くなり、食欲も失せるほどの悪心に陥るからだ…無菌室に居る病人に対してや菌類培養等、マスクが必要な場合もあるとは思うが、そこまで行かない場合はマスクはむしろ不潔だと思っている。

自分の中の女性原理をどう表現するか。
【周囲の為に身体を差し出す事を善とする】【一つのウイルス…悪についての過剰な拒否反応】
周囲の為に身体を差し出さない人をわがままだと言い、悪について拒否をせず受け入れてしまう行為を奔放だと叩く…これはまさに、女性原理叩きだなと感じるのだ。ここで叩かれているのは実際の女性ではなく、全ての男女に内在する女性原理だ、自分の中に居る両性を果たして何処まで理解出来るかといった問いかけが、地球規模で生じているような気がする。

ちなみに私は性別概念については、全ての人が男性でもあり女性でもあるという見方をしている。自分の父親にも女性原理は宿っているし(潔癖なのでやや偏った女性原理)、自分の母親にも男性の部分はある(かなり)、無いわけが無いのだ。この、内在するありとあらゆる性を、身体を纏っている間にどれだけ合致、昇華させられるかがこの世に生きる上での一つの【大きな意識】に於いての課題なのかなと感じている。

コロナについては、死んでも文句ナシ、ワクチン拒否、ワクチン強要拒否、だけどワクチンが体質に合う人も必ず居るので、反ワクチン派ではないものの、ワクチンが体質に合うかどうかを判断する遺伝子キットみたいなものが先ず普及すべきなんじゃないのか?あるいはコロナに弱いかどうかの個人体質を測る検査が先なのではないか?という意見である。

尚、人類がひとつの事に関して同時に悩むという事自体に対しては、不可思議かつ神秘的なものを感じている。果たして大きな敵を、敵ではないと言える日が来るのだろうか…?