山奥に住んで居て完全な人間社会嫌いでネットも見ない…そのような人物の心のうちというのは案外澄み切っているのかもしれない。
『写真はマングローブの木々と地元の川で、今年はカヤックに乗りに来る観光客も滅多に来ない…』等と唐突にホラを吹いてみたくなるが実際はただの東京の川である。私は何故か沖縄の人間に間違えられる(?)事があり、そのような時に相手が少なからず私に異郷の何かを夢見ているらしいのを感じ、毎回申し訳なく思いながら関東の人間だと告白する。するとやはり残念そうにしているので、やっぱり何かもう少し楽しい事を言ってやりたいという気分になり、母親が雪国出身だと付け加えたりしている。これは別に嘘ではないし、最早南国のイメージともかけ離れているのだが、やはりちょっと喜んで(?)くれたりする。面白さというものを追求するとどうしても現状には無い何かが必要になってくるものなのだ、私とてそうだ。

今ここではない場所、時間、不可思議なものに人間は惹かれるものだ。私も現状には無い技術について考えたりもする、この考えは実現可能かを立証する類のものではないので、そういう意味では私の頭での考え事というのはほとんど完全に与太話ばかりである。
例えば、眠気が酷い時にトイレに行って排尿するととてもスッキリすることが多々ある。ごくたまに夜中目が覚め、膀胱が張っているので仕方なしに尿を出すとやはり眼が冴える。この事象が示すことはただ一つ、『おしっこのなかには眠気成分が含まれているのではないか?』という事。さらには、『個人の尿をそのままろ過+微生物に浄化させ、眠気成分を含む水にし、それを入眠導入剤代わりに出来ないのだろうか?』といった案も出てくる。飲尿健康法ならぬ、眠る前の一口の尿(ろ過済み+浄化済み)、各人が自分の尿で睡眠剤を作れたらアナフィラキシーも起こらず、すごく合理的な気がする。それをひょうたんのような自然素材の保管器に入れ、その保管器自体が植物であるのでそこに菌を入れビオトーブ状に保ち、常に『生きた生薬』が生成されるみたいな仕組みがあったら…
勿論これは与太話であるのだが、私は未来というものを考えた時に漠然と縄文時代みたいな風景が広がる事がある、言うまでも無くそれとて私のただの妄想でしかないのだが、未来であればあるほど自然回帰思想が強まるような気がするんだよなあ…。
眠り薬としての自己尿、痛み止めとしての自己涙、風邪を治した後の唾液、みたいなものが植物や菌類の力によって生きて保存されるという未来が来れば、薬の奪い合いが起こる事も無いし、それぞれに合った力で生きることが出来そうな感じがするが…。

山奥に住んで居て完全な人間社会嫌いでネットも見ない…そのような人物の心のうちというのは、こんな風に与太話をこさえてあれこれ思案したりしない分、案外澄み切っているのかもしれない。
光り輝く木々の神秘よ…。