散文詩【白い布を崇める教団ってタイトルで展覧会に出品したんだけど案の定、没だったな】

白い布を崇める教団ってタイトルで展覧会に出品したんだけど案の定、没だったな。この時代を笑える時が訪れるなんてことも、きっと無くて、あまりにも大規模な茶番、あまりにも大規模な薬害問題、あまりにも大風呂敷を広げたもんだから、僕らが生きているうちに事の真相が地上波で流れるなんて事も無いんだとわかってしまった。それどころか古来から連綿と我々は騙されてきていたんだと気付いてしまった。何処から何処までが光り輝く正義の時代で、何処から何処までが暗黒時代かなんていう定義そのものが無く、そんな事を偉そうに示す奴ほど狂ってるってわかってしまった。膨大な時間、巨大な人類史、そういったものと結局は…たった一人で対峙すべき時が既に来てしまったんだ。時の定義を逸脱して構わないなら、元来我々はその事に大昔から気付いていたということにすらなる。それでもここまで、喉元まで、刃物の代わりに10円足らずの白い布切れを突き付けられて、YesかNoかハッキリしなくちゃならないところまで、歴史ってものが全世界の個人に迫ってくる地点に今居るってのは、ある意味とても重要な時代に生きているとも言える。僕だって思ったことあるよ、地球は汚れている、これは人類が増えすぎたせいだってね。僕だってわかってるんだよ、地球は汚れている、これは人類がきちんと仕事をしてきちんと生きてきたせいだってね。奴らの教義を僕は理解してる…白い布やら注射器やらを崇める異教徒たちの振りかざすこの大規模な『正義』に対して、それでも僕がYesと言いたくない理由はただ一つ、それに対して頷いてしまったらもう、僕が個人で居る理由すらなくなってしまうからなんだ。僕は生きる、僕は迷惑をかけながら生きる、僕は他人のものを奪いながら生きる、僕は殺しながら生きる、僕は…生きる目的を大多数の為にと定めたりしない、僕は僕だけの為に生きる。何故かって?僕は、自分の為に生きている人が好きだからさ。自分の為に生きている人は、自分の為に生きることを…他人にも許しているから。この究極の矛盾こそが生きるって事さ、だから僕は、馬鹿げたコロナウイルスはともかく、愛すべき…恐るべき管理主義の異教徒たちとも、一緒に生きてゆこうと思って居るんだよ。