霜桜

街燈がスポットライトのように、霜が降りてさながら白く花咲くような冬の桜の木を照らす。音の無い朝五時台のとある通り道。冬は聴力は増すが視力は弱くなる気がする、発光帯を上着の上から巻き付けてゴミ拾いをする、深海のような世界。

冬季になるとゴミが減る。たぶんゴミ拾いをしている人というのは、単なる散歩が暇だとかそういう理由でゴミを拾っているのではなかろうか?実際私もただ歩くのって結構暇に感じる性分だ、またそれが何の役にも立たないのを何故か痛感してしまう時があり…芋づる式に自分が強烈に無駄に生きているのを痛感し、この世に対してやり残した感がどっとくる事が多々ある…そんな時ゴミを拾ってさえいれば、とりあえず形式上は清掃をしたという結果(?)が付随するので人生の虚無感になんとか打ち勝つことが可能。

ゴミ拾いや慈善活動というのは大概気恥ずかしいもので、脅迫概念的な温暖化阻止思想や、SDGs系の概念で行動しているように見えているのかな?という懸念も相まってたまに猛烈に恥ずかしさがぶり返したりもするが…習い性で続けざるを得ない。いつも感じるが…理論や概念、思想といったものは常に現実から離れている。

人間世界でどんな思想がもてはやされようが、綺麗なものは綺麗だし、汚いものは汚い。汚い、というのは違和感で、その違和感は直感から来る。直感的に動いていると無気力に打ち勝てるのだろう。

個人的に正月というものは冬至のような気がしているのでもう正月明けの気分だ、しかし形式上、霜桜よまた来年と、件の桜の木に声をかけて通り過ぎる。