主観的覚書
昨日物凄い右脳エリート二人と出会えたので個人的に覚書を載せておく。
〇右脳エリート→本物のアーティスト、天才
インスタレーション
コンテンポラリーアートを本能的に完全理解しているタイプ
いまここの意識、場の意識
瞑想や禅に近い概念の持ち主
言葉を超えている
肯定的
権威という概念が無い、善悪概念が無い
音楽、絵画、抽象、詩
自分中心(・一点に凝縮されている)
神秘の領域
●左脳エリート→統計や数字を読むことに長けている
世界情勢や株、為替、数字マジックに騙されないタイプ
過去を数値で読むことが出来それを未来に生かす意識
意識は過去と未来に広がっている
プロパガンダや一般的な感情論に囚われない批判的精神の持ち主
数字を立証するために的確な言葉を使う
批判的
理系、世界、宇宙、または領土などを俯瞰して見る
世界対自分、自分の見解に対しても懐疑的(分散している)
世論の裏側、または自分の正義
×その他凡人→右脳と左脳の使い分けができないタイプ
いわゆる凡人、情弱、馬鹿
お涙頂戴や善悪が好き
どちらの脳も未発達なので自分以外に正しい何かを見つけようとしている
外部を信じる/外部に反発する/外部と自分との比較
理解できる範囲→国内
絵画なら遠近法や物理描写に留まる(概念まで右脳が発達していない)
小説(詩の場合は概念に近いものは理解出来ない)
歌(単に上手い下手)
漫画(右脳左脳を補助してくれる作品)
ブログ、日記、ゲーム(簡単な反射作業にハマる、自分では考え出せない)
周囲との同調を基準とする
素直、肯定的ではあるが個人的正義感覚は無い、感情論
無害だが実は戦争などでは盛り上がる同調性タイプ
潜在的には危険
あまりにも凄い右脳エリートの話を聞いていたらふっと思いついたのがこれらの分類。
私自身は残念ながら【右脳崩れ左脳未満】を昨日いたく自覚した。
非常に恥ずかしい思いもした。
つまりこの表では、右脳エリートになりたい気持ちはあるがその他凡人に見事に分類される。
右脳エリートの感動表現であるアートと
左脳エリートの批判表現である統計や数字といったデータ基準のプロパガンダ批判
彼らの頭脳から抽出されたエキスは
右脳エリートの場合はいまここに自分自身が居なくてはならないので個展や直に語ること
左脳エリートの場合は、言語や数字表現が元になっているネット上
これらの場所で探すことが可能だ。
ちなみにこの表、右脳エリート、左脳エリート、その他凡人、これは既存の学歴などは無関係。
世間一般でいうところのエリートとは全く別の意識。
右脳をどれだけ使えているか
左脳をどれだけ使えているか
それを凡人として体感したので表に現したまでだ。
そもそも世間一般こそがただの凡人の群れに過ぎないのを実感しているので、その基準でのエリートというものに対しては
最早機能していないような気もする。
大変差別的な表になったが、これもひとえに私がいかに世の中に対して【いいものを取り込み】(右脳左脳両エリート共に、エリート度が上がればあがるほど世間に対して自分の感動表現を開示し、他者を進化させようとする本能を持っているため、ありがたく取り込ませてもらう)、自分自身を進化させるかという課題をやり抜くためである。
ひいてはこの個人努力が…この種の事に気づいた人がどんどん自己努力に努めたら…世界が一段階進化する事へと繋がるのだ。