※ここに書くことは読み手本人が個人的に考えた事であり、朗読をしているときの忘我状態とは違いますので、あくまでこれは、エレミヤ書を読んだ人間のうちの一人がこう考えたに過ぎない、そんな文章であることを念頭にお読みください。私の考えと全く異なる解釈を持った人であっても朗読を聴いてもらえたら嬉しいことに変わりはありません。
これはエレミヤ書前編というよりも、後編も含めた感想になる。
旧約聖書には様々な預言者が出てくるが、エレミヤは書き手としてもとてもわかりやすい文章を書く預言者だと思われる。
現に後編では口述を書記に筆記させていたようだし、往年の作家の雰囲気を放っている。
そのせいか、エレミヤは文章がうますぎて、あまり預言者という感じがしない。他の預言者なんかはかなり独走状態で天使を観たり幻視したり、本人にすらその謎が全く解き明かせないままに預言している神がかり的存在だが、エレミヤの場合は常に自我を保っている。
とはいえ、神から預言されたことを言わずに逃げるわけにもいかないので、腹を括って預言者になるのだが…この書物を読んでいて感じるのは、古代ヘブライ人(古代ユダヤ人)ってちょっと現代日本人と似ている気がするのだ。特に政治オンチな所なんかがそっくりである。
世界情勢的に考えたらこうだよね、こんな感じだよね、私たちの民族はこういう立ち位置だよね…←という概念が希薄で、ひたすら閉鎖集団…つまり同国人に於ける『普通』を基準にし、それを死守しているのではなかろうか?なので同国人のうちの少数派に対しては非常に厳しい態度を取るのではなかろうか?
まあ、こんな穿った見方になるくらい、預言者エレミヤは自国にて悲惨な目に遭う。それも、自国が他国人に占領されるという戦時中に於いて、同国人によって虐待されているのである。
神はエレミヤ書に於いて、『侵略者に従え』と言ってくる。
※おそらく神の王国の民…つまり古代ヘブライ人にとっては『進め、一億火の玉だ!!』とか言われた方が心情的に楽だったのではなかろうか?実際的に苦しくても、『荒布を身に纏い、灰の中にまろ…』んでいたほうが自らの閉鎖的な民族気質に合っていたのではなかろうか?
聖書を【祈祷以外の意味で】読んでいると、神は人間的正義などこれっぽっちも言っていないと解る。
主は助けてくださる、という言葉も好きではある、が…何も【人間の権威者に対して】従順にしていたからといって命を保証するような事は何処にも書いていない、そのような保身は一切ないのが聖書の魅力でもあり…底なしの厳しさだとも感じる。
エレミヤ書に話を戻そう。
実は、神は此度の託宣にて、【現実的に一番楽な事】をヘブライ民族に告げているのである。
侵略者に従うほうが民族が保たれるという【あまりに合理的すぎる神の託宣】【あまりに楽な託宣】は、エレミヤの理路整然とした様相にも相まって、【エレミヤその人は預言者というよりも政治ジャーナリスト】にしか見えなかったのだろうと安易に想像がつく。
私はカルデヤ人を星を読む人と意訳したのだが、バビロンにしろカルデヤにしろ、おそらくヘブライ人よりも科学に長けていたと感じられる。
今でいえばNASAみたいな組織が背後についている強い国が異教の大国(バビロン)で、こんなものに対して『宗教哲学の学者』の寄せ集めみたいな古代ヘブライ人が【戦争で】勝てるわけないのは…世界情勢的に考えれば当たり前であり、その当たり前をエレミヤは告げまわったのだが…。
エレミヤ書はヨブ記に勝るとも劣らない、孤独の書物である。