詩篇は音楽フェスである

意訳の合間に作ったピンタッグブラウス…作るものと実際着る物の差が激しい

無事?詩篇150篇を意訳し終えた。意訳にはこんなルールを設けた。

・悪、善という言葉を使用しない(何が悪で何が善かを定義出来ないから、自分と異なる主義を叩くだけになってしまうから)

・悪→愚かさ、何が善悪かを人間は決定的な部分で分からないから(これは自分自身の愚かさも含む)

・神とは何か?→この世がただ存在していることに対する畏怖の敬称。(創作をしている人ならわかるだろうが、『何もせずにいれば何も存在しない』のである。よって神というものは義人化された『神様』ではないという認識。)

詩篇はヘブライ人の勇者?であるダビデの唄が物凄い勢いで延々と続く。

ダビデ王は元々琴をかき鳴らすアーティスト気質のようだし、本編(旧約の歴史物語)でも猛者を倒したりするあたりまではまるでRPGの主人公のようだったのだが…前王との間の、男同士の愛憎問題が生々しく、あまり感情移入出来ない人物である。

そんなダビデとその他数人と思しき方々の記したらしい詩篇、もうラストスパートの130篇あたりから完全にノリが『音楽フェス』なんだよなあ…

特に140篇以降、若くカッコいい筋肉隆々のイケメンが延々と歌い続け、それを数万人規模の観客が感極まりながら涙している情景、緑豊かな丘の上で、夕日が射したり雨が降ったりの野外ライブが目に浮かぶ。

練習用の布なので大胆に出来るが、実際に着ることを想定した生地にハサミを通すのはまだ畏れ多い

…うーん、個人的にはエレミヤとかエゼキエルの完全に孤独路線の白昼夢独白のほうが圧倒的に面白かったが…まあ、みんなの勇者ダビデの聖なる唄に文句を言っても仕方があるまい。

しかしダビデになりきって『(俺にとっての)悪を倒す!!!』とか『(俺にとっての)悪しき者に天罰を下らせ、その子孫を死に絶えさせてください!!!』と熱く朗読するのは、さすがに我が主義に反するので、なるべくナチュラルな言い方に意訳した次第です。

しかしながら、個人的には、個人間の闘いというものに関しては比較的『是』の姿勢です

人生、言わなきゃならない事ってあるとこの数年で悟りました。

だからダビデの言わんとする【生物の持つ宿業的な勇ましさ】について批判する気は毛頭ない。これの無い人は利己心も少ないだろうが、利己心の無い人には何も守れない気がするのですよ。

ダビデは利己心が強いけれども、だからこそ古代ヘブライ王国すべてを己だと思えたわけであり、それって素晴らしい事だとも思う。