ダビデの歌が延々と続くこの詩篇、しかしダビデという人物像は人類共通の『この世に対する疑問を抱きながら素直に生きている』心境を見事に表していると感じられる。
ただ、第一巻第一遍からはじまる祈りにちょっと疑問があり…『悪って何?』と突っ込まずにはいられなかったのです。
なので、第一遍で『神とは何か』『悪とは何か』『この世を悲しくさせているのは根源的な男女の理解不足(内なる男性性と女性性という意味であり、肉体的な男性と女性の境目を薄める等と言う意味ではない)』この3つのキーワードを大変勝手ながら詰め込んでみました。
(第一遍のみ抜粋/この著作権はAya Ogataに属します、正当な詩篇への敬意をこめて転載および使用禁止です(あまりにも極端な独自解釈な為))
『詩篇 第一巻 第1篇』※
すべてを造られた主を思い、その妙なる悟りを 思いめぐらす者はさいわいである。
主はすべてを造られ、主の造られたこの世を見つめるものとして 人をお造りになられた。
見つめることに於いて、人は 主の似姿(にすがた)である。
そして人の心をまた 主は見ておられる。
主は見つめる者をどこまでも見つめておられる。
ゆえに 主の造られたこの妙なる世は まさにここにある。
このように 計り知れない主のみ摂理を思う者はさいわいである。
主よ、み摂理を逸れる者の 愚かな はかりごとに歩まず、しえたげる者の座にすわらぬようわたしをお導きください。
わたしのなかに根差している愚かさに 光を与え 主の知恵に至るまで導いてください。
主を待ち望む者は 主の光をよろこび、昼も夜もそのみ摂理を思う。
陶器師が手を働かせ、器(うつわ)を形作られなければ ただ泥がそこにあるように主はそのみ手を働かせ 世界を形作られた。
見よ だからこそこの世は ある。
この神秘に思いを馳せる者はさいわいである。
主よ、どうかわれらに 主の知恵を悟らせてください。
み旨に於いて行うべきことを われらに促してください。
悟りの道を歩む者は 流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
主の光を視ない愚か者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
悟りの無い者は み旨を行わず、いつまでも主の庭に至ることができない。
心の鈍い者は 主の知恵に於いて賢い者のつどいに立つことができない。
しかし主よ、われらは皆愚かな者です。
どうしてすべてのつくり主のみ前に 主の知恵を解き明かせる者がありましょう?
主はこの世を造られ男と女とにわれらを分かたれ、深い溝を造られた。
どうかわれらに 悲しみを乗り越えさせ 主の知恵によって内なる二つの御霊(みたま)を ひとつの光に至らせてください。
主の知恵によって まことの喜びを悟らせてください。
主の声を聴かない者は誰一人としていないのです。
主は 自ら発せられる内なる言葉を すべての生けるものに語りかけている。
主のみ言葉を 聴かない者はない。
主よ、どうかわれら愚かな者に み旨に於いてなすべきことを教え、それを行わせてください。
われらはこの世に目覚めてから 主のみ旨によって取り去られるまで 主に祈る。
主を呼ばわる者の声を 主は必ずお聴きになられる。
主は、主の光を思う者の道をすべて知っておられる。
主を待ち望む者はさいわいである。
(以上)
・神とは→聖書を読んでいる方に対してはまさに釈迦に説法ですが、神とは神様というキャラクターではなく、この世が実在する事への畏怖と神秘への敬称ととらえています。この世が作られる原初作用を、主はこの世を造られたと称しており、この世を自分の目で捉えたときにはじめて…この世の実在を感じるわけですから、それこそが主と見つめ合う状態、観測しているからそれがそこに在ると言える量子力学的存在と解釈しています。
・悪とは→主の知恵に於いて愚かだということです。知識や知能の意味ではなく、悟りの意味です。では悟りとは何か?すべてが相互作用で存在しているということへの理解度だと私は解釈しています。だからこそ、戦うという行為もまたある意味正当性のある行為だと感じています。この世が相互的に存在するという視点からすれば、ただ各々が生きているだけで闘っている状態だと思えるからです。
・ダビデとは→この世に生まれて戦いながら、実に清々しいほど自己正当化しながら生きているという点では…この世のすべての人に内在する根源的な生命力そのもののような気もします。戦わずに生きて居られる人はいません、住む家や食べ物や空気や水、全部自分で(同胞から奪って)勝ち取っているのですから、ひたすらウジウジと後ろめたく生きるのは『この世に自分が生まれた』という『主のみ旨』に反していると考えます。表面上での平等性も同様です。だからこそこの世は戦いであり…だからこそ神の愛が満ち溢れているという二重構造を形成しています。ダビデの嘆くこの不条理を人間は超えられるのでしょうか?これは人間の永遠のテーマです。
第1巻(1~41篇)は、個人がこの世に対して漠然と抱く疑問や嘆きがちりばめられているので、個人の祈りという副題をつけました。
※以下、まったく関係ない話↓
この第1巻録音中にヘリコプターが飛び回っていて、我が家は横からの防音はかなりなのだが、上からの防音に関しては弱いということが判明。初期の攻殻機動隊OPか?というくらいにヘリコプター音がかぶさる感じで収録されており…その音を消すのに苦労した。よって次巻ではマイクの低音カットを作用させて収録したのだが…そしたら音が薄くなったので3巻からはまた元の設定に戻し、ヘリコプターが何時に飛ぶのか記録を取り、その時間帯を避けて収録するという、最早「何と戦っているのか不明」な状態での、全体としての一貫性に欠ける音質と相成った。まあこれが素人の録音の限界か。。