言わずもがな、社会に疑問を持つ人の大好きな伊丹万作著の『戦争責任者の問題』を、朗読しなければならないと感じたのは…先日、従うことに慣れ過ぎていることに対して危機感を覚える体験をしたからです。
その場の空気に従うことを善と捉えている風潮が行き過ぎているのではないかと感じています。
『あなたの在り方を変えてほしい』と初対面でいきなり頼まれた場合…大抵『断る』と思います。初対面の人間に対して『あなたの在り方を変えてほしい』と言う行為自体が大変『無礼』なことだとも思います。
その『理由』が『思いやりのため』『みんなのため』『世界平和のため』であっても『断る』選択肢はあるのです。
私たちは皆、個人だからです。世界という漠然とした精神状態で生きているわけではないからです。そもそも『思いやりのため、世界平和のため』という『他人の個人的思想』のために自分を変える必要はないのです。
何が真実なのか、誰が騙されていたのかは依然として不明だからです。
私個人はここ数年間で断る練習をしているのだと思います。
では何のために断るのか?
それこそ『様々な思想が保持される社会のため』です。
私が『みんなのために行動しない』『みんなのために自分を犠牲にしない』のは、突き詰めると『人類の発展のため』です。
…いや、これはね、決して言い過ぎなんてもんじゃなくて本音なんですよ。
この感覚のない人とは分かり合えないと思いますが、それでも私の側からは『何もお願いしません』し、『何も強要しません』から…。
強要されることに慣れ過ぎないでほしいと、『みんな』に対して切に願っています。