神が直接的に人間に語り掛ける…しかも暗に民族全体に語り掛けるという聖典の在り方は、旧約聖書の形式とよく似ている。
旧約聖書は、迫害を受けている中規模民族であるところのヘブライ人に宛てたものであるが…ひょっとすると、特定の民族が危機的状況に陥ると、民族の共通概念としての『神』が人を介して現れ、語り掛けるという現象が、人間にはあるのかもしれない。
ひつくの神が現れたのは第二次世界大戦中の事だが…ひふみ神示を読んでいて不思議なのは、その時代によって、内在するメッセージ性が変化してゆくような気がすることだ。
とはいえ、あまり予言めいたものを重視してはいない(先入観を消したい)ので、国名などは省かせていただきました。
…だって、本当の意味で何事もない世の中などというモノは、かつて存在した試しがなく、これからもそうでしょうから。
生きていくこと=傷つかないこと…ではないと個人的には思いますので、何の病気もせず、何処も痛くなく、誰にも傷つけられないなどという事を生命の基準にしてはならないわけで、それはひふみ神示に於いて…神の世界にも悪があると書いてある通りだと感じます。
そして悪というものは一種の概念でしかなく、だからこそ、国名や悪の予言をそのまま馬鹿正直に鵜呑みすることは避けたいので、国名などは省くようにした次第です。