いままでの録音を改めて聞き直したところ、なんとなく行間が空きすぎて遅い感じたしたので、今回はツラツラと速めに読んでみました。
…実は水の巻くらいまでは動画を作っておいたのだが、気になったのでやり直している。
この種のやり直しがもう全体(1~10の巻あたりまで)×三回くらいに及んでいるので、正直、総数数十本の録音が無駄になっている状態であり、もしこれを賃金労働に加算するのであれば相当無駄なコストがかかっているわけだが…モノを作る性分の人ならば、こういった苦労を陰ながらしているわけであって、私は今まであまり、甲斐のある苦労をする地点まで至ったことが無かっただけなのだなぁと、最近気が付いた次第です。
さて、私は、日本人にとって『子守歌のように聴ける信仰の唄』が欠けているのではないか?と常々危惧している。
信仰というと仰々しいけれど、自由な気持ちで、でも何かを信じる気持ちを緩やかに感じたいときに耳を傾ける唄、あるいは言葉というものが、ありそうでない。
このひふみ神示が、そういった信仰の唄のひとつになれば幸いです。