ひふみ神示を読んでいるときは、とにかく同胞たる日本人に元気になってほしいという気持ちが先行する。
自分がこんな気持ちになっているのが不思議でならない。
ヒの国の民…と読んでいる箇所は、原文では記号文字なので『〇✓の国の民』みたいな感じで、要するにこれは『神国の民』等、何と読んでも自由と言えば自由なのだが…あくまでも私は、今回のひふみ神示朗読シリーズに関しては、要所要所に、日本人に向けてのメッセージを込めた。
かなり抽象的な話になるけれど、多くの…私を含めた、いわゆる庶民と呼ばれる階層の日本人たちには、最早アイデンティティが消失しているように思われる。
それが善いことであると、庶民層の大半は言われて(洗脳されて)きたのではないかと思う。
ひふみ神示に於いては、一応は、あめのひつくの神という神(おおかむつみのかみ等いろんな名称があるが)が、岡本天明氏に降りてきて、『日本語で』神託を下されたという経緯があるので、これを新しい日本神道のひとつとして扱っても、罰は当たらないと感じます。
この種のものを、右翼思想だとか、日本人特有の根拠のない選民思想だとか…我々日本人は自分自身で自らに足枷をかけてしまいがちだが(それも戦後の洗脳思想に過ぎないのだが)、結局のところ、自分自身のこの世でのルーツを含めたすべてを受け入れ、尚且つそのことに対して独自の自信を持たない限り、他民族や他の異なる思想を本当の意味で尊重することなど不可能なのではないか?と、私は思うのですよ。
自己卑下的な人間に、他人が愛せないのと同じことです。
で、もう一つ思うのは…日本に対して文化的な意味でも失望し、全く同調出来ないとか、日本人の嫌なところばかり見たという経験や、最早自分が日本人であることの利点も何も思いつかない!という人ほど、日本の欠点をよくわかっているわけなので…言うなれば省みることが出来るわけで…かえって文化的、思想的に貢献できるのではないか?と感じている。
ちょっと話が長くなったのでこの辺で。