ひふみ神示にしろ聖書にしろ、そのものを読んで自分自身の内に湧き上がることこそが、本当の、その時その時の、その人にとっての解釈や答えだと思っているのですよ。
歴史的な話は調べることもあるけれど、基本的にはひふみ神示については、解釈や予言について…要するに外側の答えとされているものは、ほとんど私にとっては必要がないように思われる。
読んだときに、響くものがあり、尚且つ、すべてのものの中に宿る煌めきを有しているものこそが、私にとっての本物であり、そのようなものこそが聖典なのではないかと思うのです。