穏やかに生きる(ブログ)※朗読とは無関係

早朝のゴミ拾い時に見た紅色の雲…大きな羽のようだった

穏やかな姿勢で過ごしてきた人の在り方は、何か一種の神秘性を感じさせる。

起伏が少なく、感情的にもならないので絡まれたりもせず、ただひたすらに素直に生きて…結局、その人には何も起こらない。

恐ろしいことは何も起こらない。

ある意味、誰にも同情しない姿勢とも言えるが…一見それは冷たいようにも思われるかもしれないが…結局、戦争や疫病って、この恐れに加担してしまった事によって発生しているという側面が、ある。

じゃあ平和って何?と考えると……究極的には、穏やかに生きる事そのものだよなあと、今は深く思うのですよ。

穏やかに、(宗教とか関係なく)神から頂いた身体を信頼し、自分自身を静かに信頼して日々を生きる。

その穏やかさ、自らの素直さそのものを、内面の喜びとして味わう。

自分自身を味わい、一日を生きる。

2020年以前から変わらぬ生活をしている人の醸し出す、どんな情報にも惑わされず(アンチになるわけでもなく)、何にも加担しない代わりに、他人に何も強要しない静かな気配には、何か一種の武道的なものを感じる。

自分の好きなモノを好きと言い、やりたいことを実行する。

ちなみに私自身は、どうしても興味があって、情勢などをむやみに調べては、無駄に動揺する方なので、人生に於いて余計な回り道をしてしまいがちなところを(死ぬまでには)直したい。

最後に、ちょっとキツい物言いになるが、世の中の8割は自発的には何も考えない風見鶏なわけです…その人たち(私を含む)が、『明日どうなるか分からない』という外部依存の保身を捨て、穏やかに生きる決意をすれば、おそらくこの世でのあからさまな悲劇のほとんどは、発生し得ないのではないか?と思っています。