36帖にしてついに『神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。嬉し嬉しとはそのことであるぞ。神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。』という、清らかに富むことを良しとする教えが到来する。
確かに、清貧という言葉は素敵だけど、何処かの地点でどうしても幸福になれないような気配がある。
金儲けを悪にしてしまうと、足の引っ張り合いが発生してしまう。
本気の修道生活、本気の清貧も魅力的と思うけれども…万人が本気の修道生活や清貧を頂点としているわけではないので、全体的な目で俯瞰した場合には、やはり何処かで調整しなければならないのかなと(法王システムなどを観ていると)思うので、清らかに富む事を目指したい。
…とは言え、何となく、ひつくの神がちょっとお調子者っぽくも思えてくる。