【朗読】ひふみ神示/秋の巻

15帖『与へよ、与へよ、与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与へる程よりよく、神から与へられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。』

これもひふみ神示の中でかなり好きな言葉で、朗読や花壇制作をする時にも何となく念頭にある。

…しかしながら、現実的には、花壇も手をかけまくっていた時期には称賛も大いにされたが、踏み荒らされたりといった現象も起きた。

個人的には、与えたいものは外部から来るのではなくて、内側の閃きから(内なる天)流れてくるので、私は単にそれを現実的に、花にしたり声にしたりして変換しているに過ぎない。

月光の巻15帖に『与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。』とあるが…自ら生んだものという認識で与えたものなのか、単にどこかから流れてきたものを与えているという認識なのかで、これもまた違った風に読めてくる。

ひふみ神示はこのように、一見、有り体な中立論を述べているようにも取れてしまうが…それでも、保身故に何もしないという事だけは避けるようにという呼びかけだけは、終始一貫しているように思える。