いよいよ五十黙示録に突入…もう少しでひふみ神示すべてを読み終える。
すごくシビアに考えると、自分が一日のうちに行える創作行為(朗読その他)を考えると、なかなか人生の時間が足りないなと思う。
朗読ひとつとっても、発音や読み、音質に至るまで、地上での人生に於いてどれくらい完成度の高いものが作れるかと考えると…いささか朗読趣味の開始が遅かった事を認めざるを得ない。
というか、自分が納得のいく表現の完成などには、この人生では到達できないのだという諦念に達したのも、この夏特有の体験だった。
ちょっと話が逸れるが、私が好きなアーティスト(滅多に居ない)の経歴を追うと、大抵5歳、6歳で芸術の場で活躍し始めていることが判明…どうりで二十歳にはすでに『芸術として完成』しているはずだと納得した。
朗読も、せめてあと5年くらい前とか…12年くらい前から始めていたらもう少しマシだったのではないか?という考えが拭えない。
…マシ、というのはあくまでも『私個人にとっての表現の完成度合』についての逡巡であり、社会的成功などは二の次なのです。(創作が好きな人ならわかっていただけると思います。)
仏師が『自分が死ぬまでに最高の一体を作れるか』と自問自答しながら仏像彫るような感覚とでも言ったらいいか…そんな感じで朗読しています。