扶桑は…幻の大木、次の星座は宇宙空間…とすると今回の碧玉というのは地球なのかなあ?と思ったりもするが、それもひつくの神の言う所の『8通りのうちのひとつ』に過ぎないのだろう。
さて、全く関係ない話になるが…
最近100年前くらいの映画を好んで、何となく見流しているが…映画の中では洗練された人たちが舞い踊ったりしているが、実際は世界恐慌だったんだよなあ。
いわゆる洋画、白黒の映画だ。
1940年代に入ると、20年代30年代の…多少気恥ずかしくなるような基本的な恋愛映画に、若干の社会性が混じって、大人の世界が見事に演出される。
…で、未だに我々が、一世紀前の人々が直面したであろう、ほとんど半分は空想の(しかも予め勝者がほぼ決められている、現物ではない取引)経済システムにぶら下がって生活していることを考えると…寒気がしてくる。
このような時に、娯楽としての映画なりアニメなりが…かつての恐慌時代のように、皮肉にも、より一層幻想的な日常ロマンを描き出してしまうのだろうか?
この種の滑稽さは、たぶんまた一世紀ほど経過してから浮き彫りになるのだろう。
こうやって一世紀、千年、万年と…愚かさを含んだ呼吸そのものが、神の息吹となって碧玉を満たしているようにも思える。