9帖『マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理』という文言があるが、その状態が伊邪那岐命の、男神のみでの神生み行為と重なる…というひふみ神示特有の解釈は面白い。
ひふみ神示の肝心のところは、伊邪那岐、伊邪那美の夫婦神が、やがてよりを戻すという点にあるように思える。この部分だけ古事記には無い箇所であるので、よほど伝えたいのだろうと推察する。
そして夫婦神がよりを戻すには、嫁ぎの段階から改めなくてはならない…と言われているように、何かそれが遠い神様の話というのではなくて、伊邪那岐、伊邪那美の再和合の問題が、ほとんど個人個人の生き方にかかっているような口ぶりで語られるのが、他の神話との大きな違いであろう。
現在の世界が何故『ゆがみがあり』『決定的に欠けている』のか?と考えると、確かに…究極的には『男女の神が分かれている状態だから』という着眼点は、単純に納得がいく。
男女の神が和合すれば『十』という完全な状態に至る。世界が十方になる、十全になる。
じゃあ、清らかに生きればよいのだろうか?…そうとも言い切れない。
品行方正に生きればそれで解決!…とは一言も語られていないのがまた、人生の探求をより深めてくれているように思う。