ひとり一人の内的現実(ブログ)

果たして形になるかも不明な創作型紙

人形に合わせた寸法で、さらに型紙を制作する。

このような創作行為をしていると…閃きに遵ってこの世に実在させるのが、実は結構手間のかかる事でもあり、逆に言えば、この世に顕在しているすべてのものは、やはり元々は『あちら』からやってきたのだろうなと感じる。

霊界というか、内面の閃きの道と通じているあの世界だ。

そして自分の存在もまた、その実、結構な手間をかけて、種々の道筋を通って今の段階に顕現しているのだろう…すべての人や物がそうなのだと思う。

秋の薔薇は少し寂し気

閃きそのものに、顕在の姿が近いほど、美しい。

閃きに忠実な事がオリジナル性を生じさせる。

形は悪いが美味しそうな ピンクのバラ

さて、世界が騒がしくなってきたが…私は2019~2020年の終わりまで、大いに散財してミシンだの録音機材だのを買い漁った。(しかもその洋裁をきちんとやりはじめたのは去年である…。)

個人的には『40歳になるまでに何か自分がこの世で出来る楽しい事をやれるようになりたい』という素朴な直感からだった。とにかく40になるまでは買い物に無限(有限)の許可が(内なる自分から)与えられているので、あともう少し買う予定ではあるが、大半は揃える事が出来た。

で、それ以前は…元々が裕福ではないので、保身の気持ちが強く、うまく運用させるためにアレコレと多少画策して、日々のチャートなんかを見ていたのだが…

まさかこんな風になるとは思っていなかった、音楽機材は基本的に輸入であるので、暗に情勢に左右されるので、買っておいてよかったとも言えよう。

この数年で至ったひとつの体感として『保身に走るとろくなことが無い』『保身は時間(人生)の無駄』と感じている。

肩幅が合えばいいよね?という適当な製図…首元を丸くしてみる

保身は内的閃きとは真逆である…少なくとも私の場合はそうだ。

もしかすると、戦争などを始める人(勿論これは両者という意味)も、良いとか悪いとかでなくて、至極明快にこういった『閃きの心境』なのかもしれない。

謎のウイルス(嘘)、善悪概念、割と本気の毒注射、混乱する世界情勢、聖書の地でのハルマゲドン!という小説じみた物語…これ等は結局のところ…大勢の誰かの内的閃きによるもので、それを忠実にパフォーマンスした者勝ちなのだろう。

だとすれば、私のような一個人はどうしたら良いだろうか?

他人の閃き、他人のフィクションに自分の身を委ねて良いのだろうか?

現実的には、自分の閃きを忠実に実在させ、その実在がこの世を潤すような作用をもたらすように、日々、自分の行為をしてゆく事に尽きるだろう。

人形の分だけ型紙を自作

…何にも左右されずに。

この世は兼ね合いなので、何かが動けば必ずこちらにも影響が出るし、私が動かないと決めた影響もまた、どこかに作用する。

つまりは、各々が自分の閃きを生きるために行為すれば(生きることは内的にも行為することである)、外部の壮大な筋書きに従う人もまた、減るのではないか?悲劇(歪み)が減るのではないか?と目論んでいる。

この思想が、おそらくは私の朗読音源やその他の創作作品にも宿っているだろうし、潜在意識では影響を(互いに)与えているだろう。

これが私の、創作行為を敢えて公開している主な理由である。

別に誘導しているわけではない(だって、良いとか悪いとか無いんだもん)、この世の時勢を作っている人たちもまた創作気質とも言えるので、広い意味では似ているのかもしれない。

ただ私は…矛盾を孕む言い方になるが、内部の現実(リアリティ)を、ひとり一人の内的現実を、すべての人間に大切にしてほしいと暗に願っていて、この作用が作品にも宿るようにと思って創作している。

そして、これが大きな力になると信じている。