【朗読】山の人生『一六 深山の婚姻』柳田國男※創作活動をされている方向け

まったく関係ない話をちょっと吐き出します。

創作行為をしている方ならば、ちょっとは頭によぎる事を、推敲もせずに書きなぐりました。

遠野物語とかも散々荒らされたので、今度録音したモノはもう課金制にしようかなとも考えています。

聴きたい人だけが聴けるシステムが一番いいのではないか?

登録者が増えたのは純粋に嬉しいが…本来そこまで登録者に拘っていないので、他人の基準値に合わせるための創作行為とかあり得ないので、減ってくれて構わないのですよ。(創作してる人ならわかると思います/創作がわからない人には謎でしょうな)

でも登録者の上限制限?っていうモノは存在しないし、遠野物語も聖書(しかも意訳のほうではなく、原文通りにクソ真面目に読んだもののほう)もマイナス評価だらけ。

多分、おすすめに上がってきやすいので聴いてみてダメでマイナス評価している人が大勢いるだけだとは思うが、今回の山の人生シリーズも、割と適度に嫌われているような気配です。

これで、ざまあみろと思う人は、おそらくはだいぶキツい精神状態なのだとは思いますが…

花壇やゴミ拾いを実際にやっている身としては、言ってしまえばYouTubeの評価や荒らしは画面上の出来事であるので、花壇荒らしとは全く別種とも言えるのだが…

私としては、仮に至らない部分があったとしても、見ず知らずの人に対価を払わずに期待以上のものを要求するっていう神経自体がわからないんですよ、心底。

あと、自分自身は昔からテレビも流行にも興味ないので、ハッキリ言って世の中というのは基本的にマイナス評価なんです。

マイナス評価が出発点なので、世の中の大半が、ほとんど何もかもが、鑑賞に値しないものなんですよ。

だからこそ、いちいち赤の他人に期待して、ダメ出しする気持ち自体がわからないんですよ。

逆に、いいと思うモノに出会えた時の喜びは…おそらくは、深いのではないか?

いいという基準も『耳障りではない』位な感じで、実は低い。

だとすれば、お金を払ってでも観たいと思える人だけ残ってくれて、それが100人とか10人とか、場合によっては一人でも全然いいわけです。

創作者が自由に、侵害されずに創作できて、それが心地いいと双方で思うような鑑賞関係だけがこの世に残ればいいと、割と本気で思っている。

…にもかかわらず、なんか…直感的に、芸術を売り物にしたからこそ、この世のディストピア化が進んだのであって、原爆すらも美化されるような現象が起きてしまうわけで、大勢がメディアを今現在も尚妄信しているのは【お金がかかっているから】であって、自分個人の苦しみみたいな理由から、この世の加害的な側面に加担してもいいのか?と押し留める価値観も内在しており…

あと…YouTube自体が広告宣伝費によって成り立っているんだから我慢しろよ!みたいな意見には価値がないので考えていない、何故って、それこそ大勢の価値観が変化すれば、広告自体が皆無になっても発信者と鑑賞者の相互関係は無くなったりはしないとわかるからだ。

そして今現在ある都合の良いモノを使わないでいる手は無い…それにYouTubeに対する対価はそれこそ作品そのものだと私は思う。

あと創作活動って、結果を思いながらやるのではなく、ただ気づいたらもう体現せざるを得ないみたいな体感であるので、根本的にはお金どうこうの話ではない。

ただ…お金によって防波堤が出来るということそのものに対して、如実に魅力を感じている昨今である。

創作活動をなされている方は、どう思いますでしょうか?

(たぶんこれを、知人のつながりのある方も見てくれているような気がするので、もし今度お会いしたらこの話もしたいですなあ。)

とりあえず、高評価を押してくださった方、本当にありがとうございます。おそらくは他者への過度な期待の無い、合理的な方々なのだと推察します。

ただこれ以上マイナス評価だらけになるようなら、課金制にしようかな?と考えています。

動画が無料では見れなくなるのがつらいという意見もあるかもしれないが、柳田國男自体が好き!というだけであれば、極論、文献自体は無料提供されているわけで、それを各々自分で読めばいいだけの話ですし…。