
カーディガン、秋に間に合った、これもだいぶ型を変えていて最早原型を留めていない。
…以下とても直観的、右脳的文章になりますので通じる方に向けて書いております。
さて、直観の世界では…潜在意識の海では、自他の区別が無いからか、先人たちは(生死を問わず)本当に親切だなあと感じる。

結局、朗読も洋裁も、今新たにやっている物事も、潜在意識の直観世界で…誰にともなく教わっている事だからだ。(私も死後はそこへ行くと思う)
時間軸の外部世界では、何もかもが遅れているように感じられる(自分も)。
理屈ではおかしいとか理屈では正しいとかね…無意味だなあと心底思うのです、もうそこに整合性なんてないのでね、善悪も無いのでね、特に表現に於いては、昨日の自分とかも居ないのだなと思う。

整合性に適うように人生の帳尻合わせていたら、一生、好きなことなんて出来ませんな。
あなたってこういう人だったはず!とか、それは知らないはずなのにとか、あなたはそんなことしないはずなのに!とか…どんなこと言われても(自分で自分に対して心の中で思ってしまっても)、昔のキャラ(外部から見た自分)に合わせて今の自分を動かすみたいな癖をもうやめようと決意した。
帳尻合わせるための罪悪感で悩んでいたら善人!みたいな取り繕いもね、それやってたらやっぱもう、一生そこから出られないわけで…
善悪の洗脳って恐ろしいもんだなあと心底思いますよ。

しかしまあ、これでも現実的な人間なので、直観世界が在るという事を、こうして実物(今回はカーディガン)を見せて納得しておきたい気持ちもある。
そしてこうして日々直観の海に足を浸していると、世の中の犯罪とか禍々しい事は、全部悪霊…というか影みたいな影響で起こったことであり、本人は自分の浄化に努めて、何か自分の出来ることに尽力するのが良いように思われる。
許すとか許さないとかあの時とか…過去の一点から整合性を導き出そうとしていたら世の中誰も救われないし、誰も新しい事なんかできない。
惜しむらくは、現実的な時間軸にてこの種の事にもっと早く気づくべきだったという事だ。
死後に行く場所がもうはっきりわかっている(個人的に)とは言え…有り余るほどの時間を悩んで過ごして、よくよく考えると自分の保身(善悪、善人でありたい、被害者気質)の為如きにしか時間を使ってこなかったわけで…真の意味では全く、少なくとも35年間くらいの間は(この世にもあの世にも)貢献してこなかったわけだ。
最近この手の事を自覚するが、なかなかに堪える…ので頑張って新しい技能の習得に励んでいるところです。
あたしの人生も、間に合うかしら…。