カザフスタン行きを免れた話

せっかくの新しい自作サイトにのっけからこのようなブログを掲載するのも躊躇ったが…今から24時間前私は死にかけていた、低血糖で死にかけていた。

元々低血糖気味であることは自覚していたが諸事情による手術処置にて静脈鎮静剤を使用することになった。全身麻酔ではない、ただの鎮静だが一瞬意識は失う静脈注射だ。アレルギー反応も血液異常も無し、家系に糖尿患者が居たが私は現在別に糖尿ではない。だが飯を抜いたりするととたんに眩暈がするし食べたら食べたでしょっちゅう倒れそうな眠気に襲われて生きてきた。低血糖という言葉は知っていたものの、それを持病と言うのもなんか大げさな気がしていて、それだから病院側の指示通り【前日の夜九時以降から絶食絶水】を真面目な私は厳守した。というのも私は以前、全身麻酔中に目が覚めたことがありとんでもないトラウマになっていたから厳守したのだ、しかも麻酔じゃなくて鎮静だから…効かなかったらやだなあと心配していた、むしろガツンと一発酩酊するような強いヤツを頂戴とさえ思っていた、幸か不幸か願いは叶ってしまったのだ。

処置の前に先ず食塩水と思しき点滴を受ける、これで血液の巡りを良くするのかもしれない、いざ手術台に運ばれ…

うわあいたたたた、たかが鎮静剤と侮るなかれ、鎮静剤が点滴液の中に垂らされると強烈な痺れと痛みが血管を巡る。それプラス唐突に喉や舌がパチパチ爆ぜるように痛む、なんじゃこりゃ、電気椅子ならぬ電気…何状態?血管に痛覚があるなんて聞いてないよ!と思いながらも私は看護師と話しつつ最後に茶色い景色が見え、幕が閉じるような幻影があり、それから砂埃が延々と続く山を見て私は、ああこれカザフスタンじゃん!と何故か直感してしばし行ったこともさしたる興味も無かったカザフスタンの荒涼とした地をオンボロ自動車がぽつねんと走ってゆくのを見守っていた。私はコンドル、いや、ただのドローンだったのか…と思うほど飛んでいた、夢っていつも飛ぶけど何なんだろうねえと誰かに語りかけようとすると隣から唐突に看護師が「オガタさん目が覚めましたか、もう終わりましたよ」と声を掛けてきた。驚くと同時に、物凄く安堵した…というのもこの処置は無麻酔(無鎮静)でやると本当に何かの刑罰レベルで痛かったので、それを感じずに済んだことが嬉しかったのだ、私は何にともなく祈った、ありがとうございますありがとうございます、カザフスタンにも何か祈りの場所はあるのだろうかと意識はまた彷徨い出した。

でも今何時だろう?と思って首を動かそうとしたが頭が動かなかった、酸素マスクはもう外されていた。

私は右側を向いていて、右を向いたら茶色い荒涼とした景色が見れたので、左を向けば青い海の水中景色が見れることも漠然と理解していた。本人以外誰にも分らない種類の理解だ。時計は左側にあった、しかし頭が動かない。動くのは点滴をしていない右手だけだ…気が付くとまたカザフスタン上空、しかもド田舎を彷徨っていて、右手を動かすとなんとか【今自分が手術台に寝かされている】事を認識出来た。要するに右手を挙げていたことは魂の舵取りの為であった。自分の意識がついに酩酊しないようにというコントロールのためであったがせん妄は続いた。不可思議なのはその間の看護師たちの声や時間経過は起きている時同様はっきりと聞こえたことだ。私は確信した、人間は火葬されるまで周囲の声を聴いている、骨になるまで周囲の声を普通に聞いている、たとえ心肺停止しても、たとえせん妄状態であっても…。

さらに驚いたのは最早夜になっていたことだった、これには絶望した、やはり意識が飛んでいたらしい…
通常だったら小一時間で帰宅できるほどの処置でしかないのに私は酩酊し続けていたのだ、はやく起きなくては、さらに地獄は続いた。

私は起き上がるよう指示されたのだが、気合でどうにかなるものではない、立つことが出来ないのだ。それでも這うようにしてベッドまで移動し…たが全く以て動ける気がしない。この移動で極度に気分が悪くなり嘔吐した。が、腹が空なので何も出ないのでえづき続け、しかも全身が震えはじめ、汗もぽたぽた落ちた。手術台も汗まみれだったらしく看護師が仰天している。とっさに駆け寄った一人が私の額に手を当てるが熱は無いと察し、じゃあ暑くて滝の汗をかいているのだとおもったらしく扇風機とクーラーまでかけ始めた。私はそれを動かせる唯一の部位である右手で呆けた老婆のようになんとかその親切を制した。その時喋ったらしいがどうも呂律もまわっていなかったらしい。毛布を掛けてもらい、手をおろすようにと制されたが手は石に反して勝手に動いた。そりゃそうだ、これは操縦桿を握る手なのだ。おそらくここで全身の力を抜いたらいよいよ意識混濁したと思う、一人の看護師が急に言った。

「呂律も廻ってないし…この人低血糖起こしてるのかも!低血糖かも、飴舐めれる?」

もう何度も嘔吐しているのに食わされるのか…と思いつつも意外にも私の体は飴を受け入れ、さらに食塩点滴らしきものを打った。吐きながら飴を舐める。薬剤を薄めるために通常の倍の食塩点滴を打ったのである。点滴が終わるまでまた時間がかかる、もう閉院時間が迫っている、点滴の間中も私は東京の病院に居ながらにしてカザフスタンに居た。人間というものはもしかすると生きて起きている時は、大海の一滴に意識を絞っているだけにすぎないのかもしれない…本当の意識は地球全体に広がっていて、でも焦点を一人の個人に絞っている間はその個人、つまり自分を動かすことが可能になるのではないか?等という事を気が付くと砂漠の国の見ず知らずの老人と語り合っているせん妄は続いた。

低血糖といのは糖尿でなくとも体質でそうなる人もある。腹がぐうぐう鳴ったり、食べられないと眩暈が起きたり、すぐ寝たりする人だ…やる気の無い奴と評価されがちな人はほとんど低血糖体質なのではないかと私は感じている。

話を戻そう、低血糖体質+元々の肝臓機能の弱さが仇となり…12時間胃袋を空にして低血糖状態になった所へ、さらに弱い肝臓を酷使する鎮静剤をぶち込んだのだから、いつまでも起きない⇒副作用の酷い吐き気⇒低血糖が悪化して意識を失う寸前の混濁状態⇒しかし肝機能由来の吐き気のため血糖値を上げるものが食べられない、飴さえも結局吐く⇒さらに低血糖が酷くなる⇒水分も摂れないので鎮静剤が体内から排出されず副作用が長引く⇒ カザフスタン(魂の世界)へようこそ!この負のループが生じてしまったのだ。 

もし、あのとき飴を舐めさせてくれる看護師が居なかったら…
もし、あのとき呂律を超えて口が聴けなかったら…
飴無し+扇風機(強)クーラーを小一時間やられてたら…

私は死んでたかもしれない、昨日死んでいたかもしれない、注文していた録音機材もまだ届かないうちに死ぬなんてこんなんありかよ!と意識の焦点が合っているときには自身の死は悲劇だが、その実本当の死は意識自体が分散しているので今ここに居る私というのが、沢山あるうちの一つの視点に過ぎないような感じしかなかった、そう、確かに昨日『ああこれ死ぬかも』とは思った。しかし正直なところそれでも無麻酔無鎮静で外科系の手術をするくらいならこれを選ぶ。死じゃなくて、死なない程度の嘔吐や混濁を選ぶという意味です。それくらい、前にやった処置は痛かったのである…あれに比べれば胃液ぐらい何回でも吐いてやると思ったが、でも病院側へ…おそらく全国の病院へ言いたいこともあります。

☆病院の皆様へ☆
『手術の前は絶食という指示があるが、私のような【血液検査では異常はなく糖尿でもないけれども隠れ低血糖】みたいな人間は結構居ると思う、そして手術による不慮の事故って、案外、低血糖が意識喪失状態まで行ってしまい、血圧まで下がってきていつの間にか死んでるっていうパターンなんじゃないのかな?と思うのです、全身麻酔で死ぬことがあるっていうのもこれでしょと思うのです。
なので、全国の手術医師の皆さん、お願いがあります、手術前の絶食は確かに必要だが、【はちみつを舐めたり、飴を舐めたりして固形物や飲料以外で血糖値を保つこと】を、手術前のお約束にしてもらえませんか?
いやこれ本当に死にそうになったんでまじでお願いします。』

いやはや、危うくカザフスタンに行ってしまう所だった、無論何故カザフスタンなのかは個人の理解を遥かに超えているので説明もオチも無い、せん妄状態時には延々とカザフのド田舎と思われる木の一本も生えていない山々の上を飛んでいる幻想が見え、しかも全く感動しなかった。この事から察するにひょとすると私の分身はカザフ人として生きているのかもしれない、そんな事を思った手術翌日だ。