散文詩【わだつみの神】

窓を開けて電気をつける、汚れたシーツやタオルをひとまとめにする、ゴミを部屋から出す、ユニットバスを洗う、それだけで昨夜から続く人の気配はだいぶ消えます。
私の去年から行っていた仕事は清掃業、ホテルのベッドメイクと呼ばれるものです。
私が何故この仕事を選んだのかというと、それが手作業、手仕事であるという点です、感覚的に働くことが出来る所に惹かれていたのです。

ベッドカバーは深い紺色、ホコリや汚れを掃ってしわのないように四隅をぴんと伸ばす、まさにベッドメイクと呼ばれるこの作業のとき、私は海を思い浮かべます。
その海面が凪いでいる様子、白いシーツの端を折ってベッドカバーの上にかけるときには白波が水面の上を踊るように、海の紺色を綺麗に見せるためにシーツの端を折るのです。

二つ並べる枕のうち白い方は大海に浮かぶ大きな月、オレンジ色の枕は水面に沈んで行く太陽…お客様は泊まり(眠り)に来るので、イメージは夕方から夜の海です。
ここはシングル用の狭小ホテルですが、私の視点では巨大な水平線や天体にも、直に触れてしまえる不思議な空間なのです。

建設中の駅ビルは、現在は外観が見えていますが春先までは濃い青い巨大なシートがその全容をおおっていました。

その青いシートの色は私には海の水平線のようにも見えたのです。
ちょうど冬晴れの日の正午の空の色とほとんど見分けのつかないほどに同化するのです、空想の海が窓の外を…空までも広がっているかのようでした。
私は現実の海は苦手ですが、この架空の海を魚類のように泳ぎまわっているのだと考えながら仕事をしていました。

ここは古代海だったというので、この空想もあながち間違ってはいないだろうと、私は一人わだつみの神のおわします海の底の神殿で、汚れを掻き出して美を奉納しているのだと勝手に想像しながら、私は働くのです。