散文詩【ミミズクの警告を聴くすべはもう】

わかっていて人を殺しました、何かに招かれるように庭に出たら野原一面に赤い光が漏れていました。
ロザリオの鎖を組む仕事の手を休め、夕暮れの空気を、赤い光とともに吸い込みました。
野原のミミズクが鳴かなくなってから一年ほど経ちました、おととしはまだ鳴いていたのです、鳴き声が夜の森に響き渡り、野原一面の生き物に知らせてくれていたのです、これ以上殺してはならないと知らせてくれていたのです。

赤い光は数件先の民家のそばから発せられていました、野原の草は暑さに押し倒され、その上を無数の虫たちが踊っていました、月のない夜でした。

夜の空気は紫色です、それを吸い込むとどんな生き物でもその色に染まります、鐘の音の鳴る夕方以降は開けてはならないという古の決まりを破って私は、家の門の外へ出ました、赤い光が救急車の明かりだと気づいたのはその時です。

命令されてやったのだと、命令されたからそのまま実行したのだと人は言います。

しかし何が真実なのか本当はわかっているのです、わかっていて私は品物を駄目にしました、わかっていて私は命令に従ったのです、嘲笑いながら。
この罪を許すか否かは信じる神によって異なるのだとミミズクは教えてくれました、実行がいけないのか、それとも自覚していたことが、女神の秤には重いのか。

けれども私はどちらもしでかしたのです、品物は光輝く紅い紅い、ガラスのロザリオです、鎖をひとつひとつつないでゆく仕事です、指示通りに、余計なことはしないでくれと頼まれている以上、このままでは鎖がたった数回の祈りにすら耐えられないとわかっていて私は、その鎖を締めなおすことをせず、そのまま行商人に引き渡しました。

赤い救急車の光は私の罪をわかっていて、私を迎えに来たかのようでした、しかしその車が道をふさいで、私は一体どこの誰が担架で運ばれたのかを知ることはできませんでした。
野次馬であるところの私は、同時に罪人でもあるのです、わかっていてそれをやった罪というものは計り知れず、罪に対する言い訳は古今東西の誰もがするように、命令されてやったのだということです。

命令されれば人殺しをする人間に、私もなったのです、だとすれば命令されて行われた殺人にも私は関与しているのです、そうでしょう?
命令されたら逆らえないという思想そのものに私は今、加担したのですから、過去、未来、現在、永劫の罪に私も囚われたのです。

ミミズクが鳴いてくれたら、実際に手を下した罪とそうでない罪があることを知らせて、彼は私を慰めたでしょう、しかし違うのです、慰めるということはすでに、問題定義が間違っていることを自覚してなお、罪人を首くくりの縄から救い出す、偽善の手段に他ならないのです。
それをわかっているからこそ、ミミズクはこの野原を捨てたのです。

加担しない罪などこの世に無いと、誰もがわかっているのです、誰もがわかっていて人を殺すのです。

あの方はもう死にましたか?
と私はあてずっぽうに聞きました、ああもう死んだよ、と、赤い光を背に浴び、いまや影となった救急隊の男は答えました、ただの罪びとであるところの俺は、いくら命令されても人を生き返らせることはできないからねと、笑いながら…そうして野原の向こうの道まで、静かに、音もたてずに救急車は走り去ってゆきました。

本当なら、私は何が正しいかわかっていたのだから、静かに鎖を直すべきだったのです、静かに静かに、命令に背くべきだったのです。

あの救急車は、死人のまま死のうとする私のところに来る予定でもあったのです、紅いロザリオは軽く握りしめただけで鎖が外れ、涼しい夜の野原に小さなガラスの星屑がこぼれ落ちました。
罪に慣れた私は、それを探そうともせず、はじめから部品が足りなかったことにして家へ戻り、心の奥底でミミズクが鳴いているのを聴かないように、耳をふさいで眠りにつきました。

私が幾人、幾百人、幾千人、幾万人の死に関わっているのかが、これでわかったでしょう?

わかっていて人を殺したのです、これからも人の死に加担するのです、ミミズクの警告を聴くすべはもう、失われたのです。