死亡予防ワクチン

イエスキリストが死んで後、千年が二度ほど繰り返されたころ…人間の大多数は現状維持を命そのものよりも好む生き物なのだと気付いたとある製薬会社は新商売を始めた。ありとあらゆる種類のワクチンをずらりと並べ、この世の全てを顧客にしようと目論んだ。これは最早新宗教と言ってもよかった。どのワクチンも綺麗に色付けまでされており…いかにも魅惑的な品々だったが、何となく、未来的というよりかは中世の似非錬金術師の店先や、古道具屋、御利益商売を彷彿とさせる奇妙な様相であった。

商品一覧は大体こんな風だ…事故予防ワクチン、自殺予防ワクチン(しかし副作用で接種者が死ぬことも多々あった)、それから痴漢予防ワクチン(接種者の体臭がいかつい男性を連想させるものに変化する)や、高額な貧困予防ワクチン(これが打てるのは金持ちだけに限られた)、失恋予防ワクチンから、果ては不幸予防ワクチン、厄年予防ワクチンまで開発された。
それぞれの商品には有名から無名まで、一応、学士と名のある人々が研究を重ね、それなりの理屈や謎のデータが付随されており、はじめは胡散臭がって誰も打とうとはしなかったものの、一年、二年と時が経つにつれ一人また一人と、この世の憂い目を避けるべく体内に異物を注入していった。

公式には因果関係は不明とされたが…人類はワクチンを定期的に打ち始めてから世代を追うごとに脆弱になっていった。

それは身体というよりも意志の力が脆弱になったと言うべき現象だった。誰もが過剰に不幸を恐れ、しかもその不幸や死というものが「ほとんど必ず自分の外部から来るものだ」と妄信的に信じ込むようになった。


いつのまにか人類は、年寄りでないのにただの風邪で死に、ただの一度の失恋で男女とも簡単に自殺し、物取りや殺人未遂に遭った人も一様に『泥棒防止ワクチンを打っていなかったからこんな目に遭ってしまった』とか『アクシデント予防ワクチンを打ってさえいれば…』と、何故か極度に己を責め始めるようになっていた。そして大多数の人間が半年に一度新しいワクチンやブースターを打つのだった…生まれてから死ぬまで。

副反応が出ると効き目が強力だとされた。その様は呪術師の無理な祈祷で半狂乱になったり失神したりする狂信者のようでもあった。親はこの祈願を子供にも課した。ありとあらゆる子供はいつしか、いじめ予防ワクチンを入学時に必ず打たれるようになった。これが児童に流行り始めた頃には人類のほとんどが幼少期からワクチン漬けになっており、これが済むと小児性愛者予防ワクチン、落第予防ワクチン、うつ病予防ワクチンと順を追って打ち、落伍者予防ワクチンを成人式に打つというのが習わしになった。

さて、それでも人類の日常には不幸が満ちていた。しかし人が生きているうえで起こり得る不幸に出会うと二言目には『ワクチン打ったの?』と第三者から言われるようになり、アクシデントに遭っても誰も被害者を慰めようとはしなくなった。自己責任…予防していなかったほうが悪いという考えが浸透していたのだ。事故に遭っても『事故予防ワクチンを打っていなかった』場合、被害が明白であっても一切の保証は無くなった。性犯罪の場合も同様であった。この件により世界の女の八割が性犯罪予防ワクチンを打ったが為に体臭が男性化し、セックスレスは世界規模での悩みの種になった。これに併せて男性化体臭予防ワクチンも開発されたが一度に同時に打ったが為に死ぬ女が多発し、慢性的な女性不足に陥った。皮肉なのは失恋予防ワクチンを打っていてもこの性犯罪予防ワクチンの体臭変化の効き目が数年単位で続くため、性犯罪率は世界で著しく下がった反面、女が地上から減ったにも関わらず容易に振られてしまう女が後を絶たず、出生率は人類存亡の危機にまで落ち込んだ。

こうなってくると人は漠然と…しかし強力に『生』を願うようになる。人が簡単に生まれる世の中であれば死もまた必然の理といった体で受け入れられるのが常だが、人が滅多に生まれなくなると、人はますます強力な救いを求めるようになるのだ。

そんな中で爆発的ヒットを記録したのが【死亡予防ワクチン】である…戦場の兵士がこれを打って無事に帰還する度に死亡予防ワクチンの価格は上がり、敢えて製薬会社が価格を抑えなければならないほどに人々に浸透した。

しかし、数十年生きた人間がこの製薬会社の全てのワクチンを打っていても不幸は拭いきれなかった。
にもかかわらず人々の意識は【生とはすなわち一点の曇りなき素晴らしいものである】と固く信じるに至っていた。
そのため、素晴らしくないもの…失恋、事故、虫刺され、等々、美醜や知能無関係で人を襲う不快な出来事…これをとにかく避けようとする意識は、最早人類の怨念といっても過言ではないほどに強まっていたのである。

これは一種のまじないであった。
ただのまじないであればよかったのだが、このまじないのお陰で高熱が出たり、そもそも風邪到死率がゼロの年代の若い人間でさえ、「風邪予防ワクチンを打って死ぬ」というような珍事態が頻発した。失恋に無縁の人間(誰とも付き合ったことが無い)が失恋予防ワクチンで見果てぬ恋のために死に、借金をしてまで貧困予防ワクチンを打つ者も後を絶たなかった。

人は誰でも死ぬ…しかし死亡予防ワクチンを打つと「死そのものが楽に訪れるらしい」…噂は、この時代の人類の最も気にするところであったので止めようがなかった。生まれた人間は誰でも死ぬ、焼死、溺死、衰弱死、病死、事故死、殺害、ありとあらゆる死に方…その実ありふれた死に方で誰もが死ぬ、その事実を誰も直視出来ないところまで人類は衰退してしまったのだ。

無論、死亡予防ワクチンを打ったすべての人間が結局は死を迎え、その中の何割かは接種後の副反応による死を迎えてさえいたのだが…それでも、死亡予防ワクチンを「勇気を出して打った」「死ぬ事による他者への迷惑を顧みて先んじて打った」素晴らしい人たちとして、死亡予防ワクチン接種での副反応による死者は丁重に祀られ、奉られ、副反応予防ワクチンの開発協力の名目と共に、崇高な自己犠牲の手本として、激減した人類によって細々と、英霊と崇められ続けた。

こうして人類はいつの間にか、原始の呪術時代…イエスキリストを遡り、旧約聖書時代をも越えて、有史以前の生態へと逆行していったのであった。