散文詩【正式名称白鯨副長採掘山珈琲店】

現実では何処にも共感してくれる相手を探し出せないので長々と書くが、白鯨コーヒー店、あの忌まわしい、正式名称白鯨副長採掘山珈琲店が我らがバルミューダとコラボレーションしたというニュース程、俺を悲しませたニュースは無い。

珈琲好きなら誰しも、全国展開どころか全世界展開している白鯨珈琲を一口飲んで呟くのは決まって『不味い』という台詞だ。『不味い』ハッキリ言ってあのふやけた人面魚のロゴを見ただけで吐き気を催すほど、完全に酸化したクソ豆珈琲しか出さないあの割高珈琲店は不味い。白鯨珈琲が何故こうも世の中にもてはやされるのか俺はさっぱりわからないし、俺だけじゃなく珈琲というものを本能の段階で飲んでいる人間からすればかなりの確率で白鯨珈琲店が不味いのに売れているということに疑問を持つだろう。

これだけだと俺はただの白鯨アンチということになってしまうので一応調べてみたら、どうも世界展開した時点で豆の仕入れ先のランクを下げざるをえなかったらしい。そしてまた大量に仕入れておかねばならないので珈琲農園と大量契約を結ばざるを得ないらしい。しかもまた、そもそもこの店には『旨いコーヒーをドリップで淹れる』という珈琲店としての大前提がまるで無いので、酸化してもいいような豆をいかに安く大量に仕入れるかということに重点が絞られ、結果的に前世紀のプランテーション農園そのままとしか言いようのない粗悪な組織が出来上がる。一から十まで全て悪である、劣悪である。

不味い酸化した珈琲豆を是とするなら、不味い安い豆を是とすることになり、不味い安い豆を是とするなら当然安い労働賃金でその農園の人たちも働くことになる、となるとその農園で育てられる珈琲豆の木自身、肥料をケチられたりどうでもよく世話されたりする羽目になる…俺らは生き物だ、そのクソ珈琲を飲めば飲むほど珈琲豆の木という生命体をも傷つけることに繋がってゆく。安かろう悪かろうは社会や地球の生き物全部を不幸にして行く、しかも最も解せないのが安かろう悪かろうを高く売ってしこたま儲けてるって事だ、儲けるのが悪とは言わない、せめていいものを売ってくれ、良いものを作るためには作物そのものを幸福にしてやらないと旨いものは出来っこないんだ。

しかもバルミューダのコーヒーメーカー…ドリップ時にいくつもの温度で完璧な珈琲を淹れるというのは最早人間を超えている。人間が珈琲をドリップするときに手に持てるのは一つのドリップポットだけだ、当たり前だ…よって温度をいくつも変えるとなればいくつものドリップポットが必要になる。一杯の珈琲の為に沢山の湯を沸かしてしかも温度をそれぞれ変えておくなんていうのは至難の業だ、それをバルミューダのコーヒーメーカーは可能にした…何年もかけてコツコツと珈琲基地外(これは敬称である)御用達となる製品を作るべく努力したのだ。俺が言いたいのは…

その努力の結晶を何故、あのクソマズ白鯨珈琲店なんかに差し出したのか??って事だ。白鯨珈琲店仕様にもコーヒーメーカーの設定を変えられるとか謳っているがそもそも、もう一度言うがあのクソマズ白鯨珈琲店ではドリップなどしていない。裏メニューで頼むにしたって何故かフレンチプレスで出てくる、意味が解らない…いや意味は分かる。豆が不味いから脂分で胡麻化そうとしているのだ。

ちなみに白鯨というのは小説のタイトルだ。その小説の中でとある船長は白い鯨に片足を食いちぎられ、日本海沖でついに海の藻屑となるその時に至るまで、この白鯨を悪魔の化身のように忌み嫌っていたらしい。今では俺をはじめ…おそらく多くの珈琲ファンが、さしずめこの船長のように、あんたら白鯨珈琲店をまるで悪魔の化身のように忌み嫌っているんだ。あの人面魚をぶちのめしたいと常々思ってるよ。長々と書いたが、俺が本当に言いたいのは…買おうか迷っていたバルミューダのコーヒーメーカーを諦めたって事だ。白鯨好きと思われたらたまらない、お断りだ。せっかくの製品に鯨の糞でも塗られた気分だ。何故なら嗜好品は特に、世界を幸福にするためにこそ在ってほしいという願いを、俺は消費者として保ち続けている…さて、ひと段落着いたし珈琲でも飲むか。