詩篇の意訳が終わらないので洋裁で息抜き

洋裁をふたたびやると言ってから二か月、一見綺麗だが、着てみると『三十年前から変わらないファミレス店員の制服』みたいなブラウスをこしらえた。

このほかにもいろいろ練習布(シーチング)で作ったが…本番の生地で作ったのはこの二枚。

アイボリーのニットと、す〇いらーく的ブラウス

結局着ているのは、急ごしらえで作った(上 写真左)アイボリーのニットだけ。

待ち針をどう刺すのか不明なまま作業をすすめる

詩篇の意訳に時間がかかりすぎて、しかも自分の頭(が悪い)と骨(座りっぱなしが出来ない)の具合からすると一日に進められる分量にかなり限度があるため、いつまでも終わらないような絶望的な気持ちに苛まれている。

今大体80篇くらいまでは進んだ。

よく見るとヨレているピンタック 

そういう時の気晴らしこそが洋裁なのだ、女の気晴らしのために洋裁という分野が存在し続けるのだと、やってみてはじめて理解した。

あと洋裁は家の中で、ミシンを踏んだと思ったら次の工程に移るためにふたたび布を取り出したり…と縦横無尽に動き回るので、骨が痛まずに済む。そういった意味では洋裁はヨガみたいな室内運動?的なもののような気もする。

ようやく、洋裁本を読んで型紙を実際の服に仕立て上げるというところまでは出来るようになった。

型紙を見て組み立てるという作業が、パズルを解くみたいで面白い。

おそらく『自分の創作服を忠実に作る』みたいな段階まで行くのには、朗読や花壇(庭)同様、三年くらいかかるのかな…?と思っている。

さて、詩篇を何故そのまま読まないのかというと、『悪を倒す!!』みたいな内容のオンパレードだからだ。

受け取り方によっては馬鹿正直に『モーセの十戒を守らない人は悪です!!偶像崇拝は悪!!ルールを守れない人は悪!!』というような幼稚な見解になりかねないからである。まあ、聖書を読む方にそのような浅はかな人って実際かなり少ないと思います。

あくまで自分で納得する文言で朗読したいという理由から意訳しているのだが…

第一遍から70篇くらいまで、全く同じ個所を意訳しているかのような錯覚にとらわれた。

エゼキエルもダニエルもあんなにぶっ飛んだ内容だったのに頑張れた…にもかかわらず、詩篇は進まない。内容が安定しすぎていて意識がよそ見をはじめてしまう。

洋裁で心身をほぐしつつ意訳を進めます。

※どんどん朗読をアップしたいのだが、納得しないモノを読むと、私の性格上、結局後から全部消すことになるのが目に見えているので、ちょっとブレーキかけながら進めています。