散文詩【火の輪くぐり】

火の輪くぐり

火の輪くぐりの儀式が始まろうとしている…思考の力が数値化されたら夢想家や空想家…いわゆるボンクラ共が王者になる日が来るのかね?俺はそんな世界を望まない。だってそれって中世に逆戻りじゃないか。

辛うじてこの世にログインし続けている祖母に促されてやって来た火の輪くぐりの儀式を、一応は見物するがこういうのも懐疑的というか正直かなり馬鹿げていると思っている。物事は第三者が見ても観測可能だという事象に於いて初めて存在したと言える。だから誰かには見えても他の人には見えない感じられない…そういう物を在ると言ってはまずいし危険だとすら思う。何が危険なのか?嘘がはびこるからだ、じゃあ観測された物事が表面上に於いて立証されていたとしても真実だと言えるのか?…俺はこんな風に自分の考えにすら本音では屈している癖に、やっぱりスピリチュアルとかそういうのは嫌いだし、じゃあなんでこんな神仏融合の寺の境内で行者と思しき白装束姿のオッサンが(俺もオッサンだけど)みんなの災厄を一手に引き受け、それを浄化せんがために火の輪を睨みつけ、今にもくぐろうとしている滑稽なほどの真剣な眼差しを、息を飲んで見つめているのかというとこれもひとえに…何のためだろうか?祖母のため?何故息を飲む?わからない。この手の物事に関する答えを俺は持ち合わせちゃいないし大抵の人もそうだろ?真昼の境内は、ウイルス襲撃による灯火管制まで政府によって布かれているいるせいか皆早寝早起きが身についたらしく、結構な人だかりで…皮肉にもウイルスから逃れるためにこの浄化の儀式に立ち会おうとする人々でごった返している有様だった。おおーい、人間ってのは極度に追い込まれると神仏に縋りつき、挙句金や命までもを神々しいものにつぎ込むんだぜ。俺?俺は違うよ言われたから来ただけだし…とか言いたいところだけど自分でもよくわからない、わからないしか言えない自分がだんだん恥ずかしくなってきたところだ。さて、儀式の中心部は砂利が取り払われ土の地面が見えている。思い込みの激しそうな行者たちが幾人か白い浴衣みたいなものを着て上から水を被る寸前だ。その水桶が一人一人に滝のように流れ落ちる瞬間、あたりはしいんと静まり返った…大きな藁の輪っかに火がつけられる…誰も何も言わない。

この空間全部がこいつら行者の上書きする世界の下書きファイルにでもなっちまったみたいだ。

瞬間、行者たちは掛け声とも雄たけびともつかぬ怒号を発すると裸足で地面を蹴って輪の中に躍り込んだ…一人…二人…三人…彼らは八の字に組まれた輪を行ったり来たりしている、一度火の輪をくぐれば終わりではないらしく、しつこくしつこく火の無限記号を描くが如く、何かの間違いみたいに何週もしている…そのうちにため息とも歓声ともつかぬ声が俺ら見物客から上がる。拍手さえも…。唐突に俺は自分が今この地点に居ながらにして別のものを見ているような気がした、無限の時間の中のたった一点、この一点に漂う暗い霧を陽光に転換させるための儀式…ああ、転換、変換、それはMP3をMP4にするような作業で、俺らは何処か別の地点から見たらパソコンのハードディスク内の如きミクロの動きをやっている存在に過ぎないのだろうか?そして確かにこの行者たちの行動は空間に変化をもたらしている。え?そんなことは『ここから』じゃ観測出来ないのに?でも誰もが感じている、この場に居る誰もが、これは最早第三者が見ても観測及び計測可能な空間変化なのではなかろうか?いやいやさすがにそれは、やべえな、俺は感化させられちまってる、恥ずかしい。ああでもいつかはやっぱこういうことすべてが数値計測可能になって解明されたら、思考のやそれに伴う儀式行動の力が数値化されたら、空想家や夢想家や宗教家なんかが王者になる日が来るのかね?やっぱそれって中世に逆戻りじゃないか、でも俺はそんな世界を…今は少し望んでいる。科学と宗教が融合してしまう地点は確かに在る。祖母に促されて来た火の輪くぐりの儀式を見て、俺は自分自身が変化してしまったのだ。儀式によってその地点に居た俺の思考ごと、どうやら行者に上書きされてしまったらしい、念の時代が未来に訪れるのかもしれない。