ニュース画面自体が私の妄想なのかもしれない

ネットでしかニュースを見ていないのと、元来人間社会に疎い事も相まって、コロナ騒ぎについては現実味が無い。私だけ亜空間に居るようだ。確かに肺炎性風邪に弱い体質の人種等は実在していると思うので、風邪に気をつける程度には気をつけたほうがいいとは思うし、根性で乗り切れと強要したいわけでもないが、私の(心理的に)周りの人は誰もコロナを恐れていないし当然の如くワクチンも打っていないのでますます現実味が無い、ニュース画面自体が私の妄想なのかもしれないとすら思う。

そんな中、山梨県にてワクチン未接種の人は外出を控えるようにとの要請が出たらしい。このHPは山梨からのアクセスが皆無なのと、父親の出身県が山梨なので書いてしまうが…さもありなんという感じだ。甲府盆地に住む人以外は盗人、という意識が山梨、曰く甲府盆地住民には内在している。こうやって十把一絡げに県民性を語ってしまう事自体が、全体の閉鎖性や選民意識を助長させてしまう恐れもあるのだが…。幼いころの私は酷い慢性鼻炎とアトピーで、弱い子供の見本のようであった。そのため甲府盆地の祖父母の所へ遊びに行った際、近所の人から「これだから東京の子供は弱い」とか「東京の子供は五十音順をハッキリ言えない、活舌が悪い」等と、目の前で五十音順を発音させられたりした苦い思い出がある。

『東京の弱い子供』というレッテルそのものという状態で、こちらの人格等はその瞬間には存在していなかった。まるで珍しい動物でも見るように眺められたのを今でも覚えている。そのような事情もあって山梨関連の血縁者とは基本的に疎遠である。

山梨と東京の間には山脈が横たわる。何山脈かはわからないが奥多摩や大月、到底歩いてゆく事の出来ないような峰々が連なる。だから東京の隣といっても、埼玉や千葉や神奈川のそれとは大違いだ。当然心理的にも隔たりがある。

その隔たりはいつのまにか両者に食い込んでくる。そしてこの度のニュースを目にして私は反射的にこう思う。「ヘェ、これだから甲府盆地の人間は差別的だよ、関わらない方がいいねえ」これが差別というものである。差別は連鎖するのである。

実際にはいろんな人間が居るだろうに、過去に差別を受けたと感じる出来事や雰囲気があり、そして現在明白に人間に白黒つけている様子を照らし合わせると、私の中で勝手に…半ば自動的に「閉鎖的で選民意識の強い甲府盆地の人間」という虚像が出来上がってしまうのだ。

おそらくコロナ騒ぎでも、「未接種者=奔放で常識を知らない輪を乱す人=因果の理屈でいったらこういう奴が感染者なはずだ=感染拡大者」という、至極勝手な差別意識が増大しているのだと思う。では何故奔放で常識の無い人を攻撃するのかというと、おそらく過去に、学校等の幼少期に接した人々のうち、騒いだり人間関係を掌握したりするようなタイプに嫌悪感を抱く出来事があったのだと思う。それも過半数の人が潜在的に「先生=目上」の人の言う事を聞かない人は悪だと思う出来事が実際にあったのだと思う。あるいはそういった、目上を恐れないタイプにいじめられたり潜在的に差別されたりしたのかもしれない。だから人は差別し返すのだ。

差別をしない唯一の方法があるとすれば、ワクチン未接種かマスクをつけているかどうかといった個々の「信仰」を、そのまま受け入れて、リアルに挨拶などをしてみるのが一番だと私は思っている。

朝挨拶する方々は大多数が常夏でもマスクをしているが、普通に挨拶している。ごくたまに私を見てはっとして慌ててマスクをする方も居るが…決して嘲笑してはならない。あんたねえ、そんなに人間が吐いた空気が嫌なら東京なんかから逃げて、大月や塩山の山奥にでも引っ込んだらどうなの?等とからかってはいけない。これは一つの信仰なのだ。一握りの土の中にどれだけの菌やウイルスが居ると思って居るのだ、等と教義を強要してはいけない。それぞれの信仰なのだから。

個々の信仰の形が露わになっている街に私は住んで居るのだ、ユダヤ人、ムスリム、キリスト教徒…の中でも正教なのかカトリックなのかプロテスタントなのか…というように沢山の信じ方がある中で、たまに相手にぎょっとすることがあっても、それでも違うもの同士が朗らかに挨拶を交わす事が可能なのが、人類というものなのだと私は思う。

ちなみに私は実際に肉親とも信仰が違うので、特段信仰の不一致に悩んだりもしていない。彼らは彼等で無菌教を信じているらしい。当然植物にも興味が無い方々だ。だからといって迫害したりする気はない。私には、無宗教なりの私の神があるのでそれでいいのだ。なので八割の日本人がコロナを怖がってワクチンを打っているという現状を知らされてもどうも思わない。そもそも、どの年代であろうがそのうちの八割の人と、自分は一生心理的関わりが無いであろうことは昔から感じていた。

仮に、出会ったりすれ違ったりする人の八割と友達になれるとか、クラスや職場全員と仲良し!!みたいな人気者体質の人だったなら、こういった「自分だけが違う思想」「大多数から批判される」という状況はかなり堪えるとは思うが、そもそも接するほとんどの人と大して仲良くなれない/特に仲良くしなくていいという気質の人間からすれば、たとえ自分以外の世の全員がワクチン接種したとしても、さりとて問題ではない。誰かに従いたいという欲求も無いのだ。

ただ一つ危惧するのが、私のように、誰かに従いたい欲求が生まれつき皆無に近い人なんかも、強制的にマスクをさせられたりしている事…特に子供とかが無理矢理そうされている地域もあるというのは、なんだか恐ろしいし可哀そうだし、差別意識が連鎖するように、いつか盛大にやり返されると思う。私が『甲府の人間は差別的だ』と感じた事象をこうしていつまでも執念深く覚えているの同様に、今の世界中の子供たちは、強制的にマスクをさせられた事象を、おそらく死ぬまでずっと忘れないだろうという事だ。勿論子供と言っても、中には従う事が大好きな気質の人も居ると思う。

つまり恨みと、強烈な統率による高揚を今の子供たちは植え付けられている。そのような人間たちの求める全体主義社会が…私の高齢期に待っているのだろうか?

それにしても…ニュース、というものがこれほど世界を牛耳っているとは思わなかった。私は元来ニュースを軽視していたし、テレビというものも流行も、言ってしまえば人間社会を半ば無視して生きてきた。今こうして生きているという肉体的実感以上に、未確定の、外部からもたらされた情報を自分よりも上のものとして扱ってしまう人間の特性を恐ろしいと思う。

人間がギャンブルにハマる理屈もよくわかったし…実感、体感として、印象で差別をしてしまう理屈もわかった。

※…このままでは私こそが甲府盆地の人間を差別している状態に陥ってしまう。つまり私は、自分のさらなる本音を言えば『甲府盆地の人間と新たに仲良くなって、心理的わだかまりを解消したい、差別意識を乗り越えたい』と思って居る。これは、差別感情の裏に隠された真の目的だと感じている。もしこれを『代々甲府盆地に住んできてそれを誇りに思って居る』方が見ていたとしたら…申し訳ないとかそんな事以上に、おそらく私は、そのような人にこそ、私の方から和解を求めるべきなのだと感じている。

さて、自分の実感よりも未確定の情報に振り回される脳の特性故に、人間は滅びるのかもしれない。その未確定情報が内部から来るものである場合、そして喜びに意識が向けられている場合、それは創作や純粋な祈りになるのだ…。 そう考えると…ううむ、やはりニュース画面自体が私の妄想なのかもしれない、壮大なバイオテロSF、今回の悪役が偏屈な山梨県民に充てられているのも作為的だ、次回作はもうちょい明るいものにしようか。