ひとつの集落につき一人二人は子供を怯えさせるのを享楽にする人間が、いつの時代にも居るらしいのは、人類進化に於いて何の意味があるのだろうか?
私も柳田國男とほとんど同じ体験(被害)をしている。
そして柳田國男と同じように、度々こういう体験をしてしまうのである。
後味の悪い内容であるので割愛するが、この種の物事に遭いやすい気質というものがあるとすれば、まさに私も該当する。
それが大人からの暴力にせよ、『神戸の叔母さんのところへ行く』ような自発的な蒸発にせよ…単に弱そうな人間を間引く働きをするために、この種の…きれいな言葉で言うなら『神隠し』現象は在るのだろうか?
でもまあ、柳田國男がそうであるように、この手の人間が無事に大人になると(子供のころのサバイバル状態に比べれば)比較的ピタリと、憑き物が落ちたように無事になる。
そして今は、それこそ柳田國男の体験談すらも説得力を持って朗読出来るのだから、まあ、良いとするか。