散文詩【奇妙な人】

誰にでも理解できる個人的利益の外側を生きている人は独特で、僕は暗にそういう人を苦手だと感じてしまう。
デモ行進をする人や、ゴミ拾いをたった一人でやる人や、環境保護活動をしたりする人、差別反対運動をする人…彼らを見た時に感じるのは、そう…いつだったか雲取山に登った時、真夜中、テントから這い出してどうしても深夜の森を感じたくなって暗闇に目を凝らして、スマホの電源も切ってじっとしていたら森の奥で何かが耐えず鳴いていて、気が付くと目の前に鹿が居た時の気持ちと似ている。
自分の真ん前に野生動物が居て、それがこっちをじっと見てたんだよ、意外なほど鹿は大きくてさ、こっちの意図とはもう全く別の認識世界で生きている…それを見て思ったよ。
原住民や修道女、紛争地帯とかでライフル担いだまま普通に歩いている女性兵士とかに似てるなって…こっちからすると奇異だけれど真意だけは感じられる存在、でも言葉の通じない存在、そんな感じだ。
その真意は個人的利益を超えている。

今目の前、なんてことない住宅街を彼なりの本気で清掃しているらしいゴミ拾いの初老の男を見て僕は咄嗟に、鹿に似てるなと思った、あるいは熊か、イノシシか神父か…ペテン師。

そういやインドかどっかにジャイナ教っていうのがあって、その信徒たちは絶えず箒で道を清めながら、虫を踏みつぶさないようにしながら歩くという教義を実践しているらしい、あれ?
でももしそれが自分の歩く道だけをゴミや虫をよそにどけて歩いているのだとしたら同じ行為だとしてもかなり利己的な気もする。本当はどっちなんだろう?
ねえ本当は何が目的なの?
あなたの真意って何ですか?
そう聞いても、果たして、目の前で赤の他人の食い散らかした弁当箱を何食わぬ顔で落ち葉を使ってせっせと拭っている太古の賢人めいたこの男と、僕は話が通じるのだろうか?
仮に、彼が本物のインディアンで、本当の酋長の恰好をしていたら僕はたぶんその奇妙さも全部ひっくるめて彼を理解出来る気がするし、挨拶もするし応援もするかもしれない。
でも目の前に居るのは、僕らが普通の場所と呼ぶ住宅地の大通りを、普通の恰好で、おそらくこの僕と同じ民族の…でも大多数の人と全く違う価値観を持ち、尚且つそれを実践している奇妙な男なんだ、普通の空間に居る異質な人なんだ。
話しかけてもとんでもない答えが返ってきたら?
地球の為にやっているとか、植物の声が聞こえるとか、ポイ捨てをする人はポイ捨て行為程度で穢れるほどの名誉を持ち合わせていない社会の底辺だからポイ捨てをする人たちを簡単に責めてはいけないとか、ゴミ拾い後は空間が輝くとか唐突に語り出されたらどうしよう?
…とにかくそういう主観的過ぎる全体利益についての話を相手がしてきたら僕は同じ人間としてどう答えればいい?
そして暗に感謝を強要されるんじゃないかと僕は恐れてさえいる。
恐れるってのはちょっと言い過ぎだけど、感謝や恩をねだられるんじゃないかと…物事には上限ってのがあって僕はあんまり他人に気を遣えるタイプじゃないんだ、だから彼の好きでやっている事に関していちいちお礼を言うのは馬鹿げているようにも思う。
でもこれ自体が…何かひどく言い訳じみているのを僕は自覚している。
ああもう、朝っぱらからどうしてこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。
とにかく僕らが分かり合えないのは事実のような気がしてしまって…だから僕は雲取山に登った時も自然云々に感動しながらもおそらく僕と同じような登山者が捨てたと思われるゴミが落ちていても特段それを拾わなかったし憤慨もせず、あるがままに生きよう、人は見たいモノだけを見て生きる、そんな風に最近読んだ本に書いてあった都合のいい言葉を繰り返し、結局朝方に鹿たちの写真を撮ってSNSにあげたら、何故かネットコミュニティ内でとんでもなく僕個人の評価が上がり、僕が自然大好きで超善人みたいな雰囲気が広まっていた事を思い返してもどかしくなる。
後ろめたくなる。
ああ、わかるよね?
こういう風に感じなくていい罪悪感までもを何故か彷彿させる力を、個人的利益の外側を生きている人ってのは持ってて、いっそその人たちがみんな妄信的な宗教信者で善行をすると自分の魂の格が上がるとかの主観的個人的利益で善行なるものをやっててくれたらよかったんだけど、おそらくそうでもない、生き物全てを含めた全体利益を目的に生きている生真面目人間なんだってのがやはり、人間同士の直感でわかってしまうから、だから苦手で、だから僕はこの人たちに挨拶したことも、ご苦労様と労う事もしてこなかったしこれからも出来れば出くわしたくないんだ。
こういう自分がどこかで決定的に弱いのを感じたくないから、大多数のやらないことをやる人を、奇妙な人だとカテゴライズして僕は自分を守っている、と同時にやっぱり、守りに入ってる自分を如実に感じるから、だから僕はそういう奇妙な人をどうしても、苦手だと感じて、今日も目を逸らしている。