散文詩【因果律の都】

辿ってゆくと絶望的になる色とりどりの配線を、絶縁手袋越しに手探りしているの、因果律の都、来れるべきものだけが来る場所と聞かされて胸を躍らせた、誰でもそうするはずでしょう?

そう、愚直な私は彼らとの度重なるやり取りですっかり気持ちを持っていかれてしまった、そこへ向かうしかなかったの。

だって今の社会は…といっても私は今の社会以外の社会というものが実在したかどうかすらも知りようがないのだけれど…私を必要としてはいないんだもの。
あなたはどうなの?批判ばかりするあなたは、あなたは本当に今の社会に必要とされている人間なの?
仮にあなたを、とても強く強く必要としてくれる人がいたらやはり私のようにそこに行って絶縁手袋をつけて仕事に取り掛かっているはず。
彼らとのやり取りをここに載せるわ、私の生きている証として。

「君の力が必要なんだ、今世界を支配している一神教の邪悪な思想を一掃するには因果を辿るしかない、君にしか出来ないことだよ。」

まあなんて素敵、じれったい恋、なんて素敵、私を必要としてくれるだなんて。
そんな場所が今まであって?
そんな人たちが今までいたかしら?

「世界を一度破滅させなきゃいけないんだ、わかるかい、これは聖戦、君ならわかるはずだ、今支配しているこの思想体系に於いて異端である君ならばわかるはずだ、魂に問いかけるまでもない、君は悩んでいる、しかしその悩みは辿っていくと社会に結びついていることを多くのものは認めようとすらしない。」

そうね、そうよね、ミスターA、あなたの言う悩みの解決方法は実際に行動して自ら戦い抜くということ、真なる神の名のもとに真なる神の名のもとに、いいえ本当は私わからないの、神様のことなんかちっとも、けれどもミスターA、馬鹿な私の悩みを真剣に聞いてくれたあなたのために戦いたいの…いいえごめんなさいそれも嘘、私はね、現実の実態をつかみ取りたいのよ、魂の在りかに触れてみたいの、触れるか触れないかの嫌味を言われるよりも銃弾の雨の只中を走り抜けたほうが痛くないって本当は誰でもわかっているでしょう?

「君は勇敢な人だから、君のことを多くの同胞たちが待っているんだ、けれども君は激戦地では戦えない、ちがうんだ、君の脚の事じゃない、君を必要としていないってことじゃない、君にだけ出来る戦い方があるんだ、行ってくれるかい因果律の都へ、因果律を壊しに行くんだ、それは君にしかできない。」

もちろん行くわ!

…そこに辿り着いたら、今の世界を牛耳っている奴らの出自や何やらをいじくって、今のこの世界を成り立たなくすればいいのね。
私はそうやって意気込んだの、今考えたら馬鹿だって思うかもね、誰の首を挿げ替えても同じことの繰り返しになるって薄々どこかで分かっていたのよ。
世界には何故だかわからないけれど上限があって、何もかもを最大値まで引き出すなんてことができない仕様になっているのよ、誰かが良くなれば誰かが割に合わない役目を負う、それがこの世の実相だってわかっていたの。
そしてどんなに他人を変えたところで、どんなに世界を変えたところで、この私自身が変わらなくては結局誰にも必要とされないんだってわかっていたのよ。

私はいつものように家を出て電車に乗ったの、私はこれから聖戦に行くんだって思いながらね。

けど前の座席に座った二人組の女がこっちをちらちら見て笑っているのよ、杖ってそんなに不自然なものかしら、けど杖だけじゃない、私が不自然だから笑っているというわけ。
こういう経験したことのない人が羨ましいわ、その人たちにとっては世界は平穏そのものなのかもしれないから、私はその平穏をぶち壊しに行くのよ。
ざまあみろ!と思う気持ちが少し、けれども私、新しい世界では彼女らの立場になったほうが得かもしれないって思ったのも事実。
因果律を調整した後の世界で私は足のすらりとした、ある意味ではとても綺麗な女になるの、それで杖をついた誰かを見て思わずちょっと笑ってしまうの、そういう役割になったほうが苦しみから逃れられる気がしたの。

でも、そしたらまた新しい世界の新しい私に、今の私であるところの、新しい誰かに、私はやっぱり殺されちゃうのかしら?
自分がその世界では自然で、でも不自然で無様な誰かをちょっと笑っただけで?
勿論それが、きっと銃弾を浴びるよりも痛いことだってわかっているのはこの私なんだけれど。

玉突き的に誰かが追いやられる仕組みが世界にはあるってこと、ミスターAはどう考えているのかなってちょっと思ったけど、もう彼と連絡を取るすべは失われてしまった。
彼は聖戦の最中なのよ、爆弾を持って何もかも…バベルの塔よりも高いものは撃ち落とそうとしているの、見下されるのは誰だっていやだから。
誰も人を見下さない社会を作るっていうミスターAの思想が私の胸に強く響いた理由、これでわかったかしら?
彼らは多くの人に声をかけているの、この社会から見捨てられている人たちにね、彼らの行動は確かに暴力的だけれども慈善的でもあるのよ、やさしさと猛々しさ、ねえ、ずっと無視されているのと、必要だって言って腕を引っ張ってもらうのとどっちがいい?

私は必要って言ってもらいたい、そうでしょう?

因果律の都に着いた時にはもう夜だった、その時にニュースで知ったの、バベルの塔が爆破されたってことをね。
大勢の人が死んだってことも、もっともその中の誰も、別に私を必要だとは思ってなかったわけだけど。
世の中を進んだ段階へ持ってゆくために命を捧げた人々の供養を忘れるなってミスターAが言っていたのはこのことだったの、よりよい世界への移行のために死を与えるっていうのはこのことだったの。

私は静かな気持ちになって夜の因果律の都を眺めていた、遠くに電波塔があって、そこにすべての配線があるって、因果律の都の因果律の樹があるって。

ミスターAが手配してくれた様々の…ああ、ここから先は言わないでおく、私は彼のおかげでその塔に忍び込めた、辺りは真っ暗で当直の年寄りの警備員も、腰を抑えながらフラフラしてたわ、そしてその警備員は白髪頭の奥の目をにっこりとさせてこう言ったの、「おや、ご苦労さん、何か手伝うことがあったら何でも言ってくださいね」、彼の労いの言葉は私の持っていた杖にかけられたものだった、私は胸が苦しくなって目を伏せた、「今から貴方を含めて全てを終わらせるつもりです」なんて言えなかったわ。

その時思ったの、何しに来たんだろうって。

私は作業着を着て、絶縁手袋をしていた、予想よりもかなり膨大な配線に私は圧倒されていた、因果律の都のその中枢、因果律の樹!その一つ一つに…この世の人間全員の名前が書いてあったのよ!
子供なく死んだ人の配線は切れていたわ、親子の配線は、因果律の樹の名の通り、植物の枝葉のようにつながっていた。
話には聞いていたけれど…現実に因果律の仕組みを目の当たりにすると言葉も出なかったわ、けれどなんだかもうこのままやめるわけにはいかないっていう投げやりな気持ちになって、試しに一束掴んでみたの。

そのなかの一本が目についた、びっくりした、初恋の人の名前が記されていたの、どういう仕組みなのかは不可思議だけれどどうやら役所のデータがそのままここに作用するみたいで、配線の上に印字してあるみたいだった、その配線からは彼の子供の分である、新しい線が伸びていた。
私は無意識的に自分の名前の書いてある配線を血眼になって探したの、ああ、あった!!!
その配線をもっともっと補強すべきか迷ったわ、私の配線はひどく汚れていて、中の導線がまざまざと見えていた、それで思ったの、果たしてどこまでやり直せるのかって。

どこを修復したら私は私じゃなくなるのかなって。

この因果律の樹の、私の枝を修復するには他の枝から絶縁ビニールをはぎ取ってくっつけるしかない、そうなの、ここですら世界には上限があって決して過剰に付け足すことが許されないのよ。
私が…もっと普通だったら、私が…もっと頭が良かったら、私が…私でなかったら、そうしたら初恋のあの人と自分の枝をここで結びつけてしまってもいいんじゃないか。
そもそも私の脚の不具合は母方の血筋、父と母の樹が絡み合ったところに私の枝が生えているのが見えた、そして祖母の枝も奥深くに見えた、祖母の奇形をそのまま受け継いだのが私であることを考えると、樹を切断してはまずい、奇形の遺伝子そのものを排除しなくてはならない、しかし、それは本当はどこから来ているのか…。

つまり私は静かなじれったい恋をしていたのよ、誰にも知られることのない恋をね、終わってしまっていて、始まってすらない恋を、身体がもう終わってゆくのにまだしていたの。

全ての始まりがなんなのか、私が私でなくなるにはどうしたらいいのか、そんなことは、たかだか私一人の枝をいじくったところで到底解決しないってことをわかったのは、因果の樹の上の上の果てまで上り詰めた時だった、作業用ケーブルはもうこれ以上伸びないくらいまで私は、作業台でとんでもない高さまで登った、枝はもう全部が全部絡みついてひとつの大木になっていた。

上に行くほどに因果律の「過去」の枝を見ることができたってわけ、だから、高い場所からだと、今や底なしの暗がりに見える因果律の「現在」は、さながら、地獄みたいだったわ。

ミスターAが、この因果律の樹ごと爆破してくれないかなって心のどこかで思ったのは確かよ。

けれどたぶん、新しい世界になって、新しい因果律の樹が出来て、それでもその世界でうまくやるには、人の枝から絶縁ビニールをはがして自分の傷ついた枝を修復するくらいの根性がなければやってゆけっこないってこと、わかってしまったの。
私は結局自分の枝をどうすることもできなかった、汚れをとろうとしたけれど無理だった、初恋の人の枝はもちろんのこと、誰の枝も、因果律の樹そのものをどんなにいじくっても何も変わらないってつくづく思い知らされたのよ、何もできなかったの。
私は自身の消滅をミスターAに願って座っていた、夜が明けて大空が茜色に染まるのをただ見ていた、消えてゆきそうなのにやめられない恋をしているのは醜いわよね。

「もう終わったかい?」

年老いた警備員は夜勤明けの目をこすってこっちに声をかけてきたから、私は頷いた、「すべて終わりました、特に異常はありませんでした」、年老いた警備員はしみじみ言ったわ「今はそれぞれが別にみえるものでも時間がたてばみんな、ひとつになってしまう、因果律の樹をみていると、じゃあなんで因果なんてもんが発生するんだっていう気になりますねえ、過去というものはもうすっかり大木になって、みんなひとつですよ」私は答えた、「そうですね、はじめから動きが無ければこうも苦しまないでしょうに」私たちはお互いに何とはなしに微笑んで、それから朝焼けの街に出たわ。

「君に期待した僕が馬鹿だった、任務から外れてくれ」

ミスターAからの連絡は、また聞きの連絡員越しに一方的に来たたったそれだけの言葉だった、男の人ってそっけないわよね、わかってる、私は用無しってこと、非戦闘員には価値がないってことは。

ねえ、ここまで読んだあなたなら理解できるわよね?

今世界で何が起こっているのかを。
人間にとって何が一番堪えるのかを。
それはね、役立たずってみなされることよ、誰にも必要とされないこと、がんばって生きてきたのに誰にも必要とされないこと、これほど人間存在を悲しませることってないわ。
人間が本当に嫌なのは痛みでもない、失恋でもない、じれったい恋がはじまらないまま終わっていってしまうことなのよ、誰からも必要とされずにね。
多数派が少数派を押しやる?
まあそういうこともあるかもしれない、私にもその苦しみはよくわかる、でももっともっと違うこと、もっともっと胸の躍ることをみんな求めているのよ。

君が必要だって改めて言われたいの、実感が欲しいの。

実感がないのにずっとずっと隣人と競争しなきゃならないこの世界が辛いのよ、だから人を無意識のうちに見下して自分を保とうとする人が増えたのよ、それに対する恨みを持つ人もね。
私はね、結局どのような世界になっても私の役回りは私が私である以上変わらないって実感したから戦闘員をやめたけれども、でもね、今の社会を守る気はさらさらないの。
だって今の社会は…といっても私は今の社会以外の社会というものが実在したかどうかすらも知りようがないのだけれど…やっぱり私を必要としてはいないんだもの。
あなたはどうなの?批判ばかりするあなたは、あなたは本当に今の社会に必要とされている人間なの?
仮にあなたを、とても強く強く必要としてくれる人が、ミスターAのような人がいたらやはり私のようにそこに行って絶縁手袋をつけて仕事に取り掛かっているはず。

とりあえず彼らとのやり取りはここに載せておくわ、因果律の都から無事帰還した、私の生きている証として。