散文詩【清き糧】

清き糧ほど汚き所に宿るもんだ。痛みがあるのに何故身体を動かすのかという疑問に対して答えるならば清き糧を得るためだと俺は答える。ある程度の闘いをしておかないと身体はどんどん弱くなるからだと俺は答える。欠陥や不具合が出るからこいつを取り換えてくれと頼んでも神ってやつは知らん顔でリコール対象の物体をこさえ続けて我が物顔で居やがる。この種の欠落を補うのは己の筋肉と察知能力しかないわけだからその訓練をひたすらやってるんだ自衛するための隊員だよ俺は、身体の弱そうなやつが体を動かしたり出歩いたりあまつさえゴミ拾いすんのは全部静かなパラリンピック大会なんだ。不可思議な事に日々の糧ってのは清らかで安楽な場所には宿らない。だから俺たち人間は神の摂理に駆られて荒野を彷徨う運命を背負っている。一日の糧を得ると俺はこの、とんでもなく横着に不良品を作っては世界に吐き出しまた暗黒に吸い込んでく神ってやつにやっぱり感謝してしまう。自分をこんな風に動かしてくれている神秘にどうしても感じ入ってしまう。愛の十字架ってのは何も残酷な行為を耐え忍ぶ事じゃないし、第一にこんなちっぽけな人間一人の担うべき分はたかが知れている。だからキレネのシモン気取りでちょっとずつ敢えて汚い事をやるっていう行為の中に…主の十字架を背負うのを手伝わせてもらうその中に、おまけとして安息が息づいているんだ。清き糧を得る必要に駆られるっていうのは即ち生きているという事だ。だから生きてるってことは…十字架の支え合い、究極的には助け合いなんじゃないかと、夢見がちな欠落品たる俺は信じてしまうわけだ。