PC急逝/伊豆大島紀行

『1984年』の第二部を処理していたらPCがぶっ壊れた。

幸いにも、録音用(DTMソフト)PCは無事…だが、エンコード用マシンとして使用していたPCは、RXでのノイズ処理やpremiereproなどのソフトでの8時間弱のWAVE形式エンコード…あるいは第二部の濃厚さに耐えきれなかったのか、悲鳴をあげるようにしておそらくCPUが熱暴走して逝ってしまった、画面も文字化けするしあんな古典的な壊れ方するなんてびっくり。

ということで秋葉原の古き良き?PCヲタクを彷彿させるお店に、いわゆる『エンコード用PC(クリエイターPC)』をいろいろカスタムしてもらって…その金額に凍り付きつつも、納品されるのを待っている状態である。

冷却ファンとか、それもいかついサイズのやつを使用する日が来るなんて思ってもみなかった。

録音機材でわかっていたものの、ある一定の基準値を超えると、やはりアナログ原理に戻るというか…やっぱり人が組み立てて造る材料で、パソコンが出来上がっているのだなあ…と、2TBのメモリやらおそらく私よりも頭のいい(Kつき)CPUの事を考えつつ実感した。

その間やる事も無いので、伊豆大島に行ってきた、いや本当は伊豆大島に行くから半徹夜して第二部を早々に仕上げていたのだが、それが仇になってエンコード用PCの寿命を縮めたらしい。

いきなりだが今回の旅のメインは実は小型飛行機!

こいつのエンジン音がいつも朗読中に入りましてねえ

いや全然、ノイズ除去つかえば消えますからね、それに皮肉ですが飛行機があるお陰で(高い建物の建設が不可能になるので)周辺の自然環境は実はよくなっているのですから、文句どころかお礼の一つでも述べるべきなのです。

で、実際に東京の小型飛行場から飛び立ってみたら、ああ、死ぬときってこんな風に自分の街を浮遊しながら去るような気がします。

それこそ第二部のウィンストンの台詞のように『なんて小さかったんだ…(自分の住んでる世界は)!!』と叫びたい衝動に駆られた。

殉教者の碑

さて伊豆大島に来たものの、何をどう観光していいのか非常に迷った…なんとなくタクシー運転手の方のおすすめスポットに連れていってもらいました、風の吹き荒れる殉教者の碑や苔だらけの椿園を見たが、そりゃあやっぱり心はPCや朗読の事ばかり。

創作を途中で打ち切られるってとても苦しいもので、食べてる途中とか生理現象の途中とかと同じで、出来るなら最後までやらせてくれ!!という感じの情念?が纏わりついている気がする。

溶岩で出来ている島なので、現代アートみたいな岩石もごろごろしていた。

夜になると島は真っ暗…に近いくらい暗くて、北斗七星やオリオン座が恐ろしいほどよく見え、その時漠然と、私自身が今のような『創作を発信できるのが当たり前』な状態に至るまでは、体感時間で3万年くらいかかっているのだなあと感じた、3万年という数字は実際の時間経過というよりもむしろ内的進捗とでも言うべき感覚だが、確か時間経過を正確に(真実という意味で)測定することは未だ出来ないはずだから、つまり…。

↑このように、頭をぼんやりさせながら、自分が亜空間を漂っている樹齢3万年の大木(根無し草)のような気分になりつつ、小一時間も夜空を見ていたら、突然雷が光って、空一面明るい紫色に染まった。

罰せられたような気分になった。

そういえば、宿にやってきた猫が顔を洗っていたなあと思い出したのと同時に、大雨になる。

(つづく)