【朗読】1984年 第一部/ジョージ・オーウェル

今回これを朗読したのは私が1984年生まれだからだ。

ついでに言うと被爆国の人間であり、違和感のある新言語を習わされた経験があり、どうしようもなく古い集合住宅で育った経験もあれば、その種の地帯特有の『党』の概念もわかるし、足も悪ければアレルギー疾患もある、基本的に少数派思考になってしまう人間であり、事あるごとに主人公が肉体/思考そのものに苛まれている様子もよくわかる。

小説というのは(特に著作権が切れるほど古いものであれば)ある程度の育ちの方が執筆されているせいか…そもそもあまり劇中の環境/主人公などに共感する要素って(賭博マニアのドストエフスキー以外)無かったのだが…

つい先月、1984年を読んだ時、この話だけは違う気がする!!!という思い込みが唐突に高まり、必然的に読み方も『演劇』のような雰囲気になってしまった。

とは言え、これは相当に皮肉な小説であるとも思うので、こんな要素に全部共感するという事自体が、作中で言う所のプロレにピッタリ合致しているということに他ならないわけで、本来ならば、ちょっと斜に構えて読むくらいが程よいのだろうが…

(※主観的な話です)まあ個人的な事を言わせてもらうと、コロナ※プランデミック政策に於いて、冗談じゃなく思想が一色に染まるのをまざまざと見たわけですから、それにどうしても同調できない人間としては、もうこの類のダークSFが、最早…皮肉な笑い話じゃ済まない感覚が生じたわけです。

『チャンネルを新たに作った方がいいんじゃない?』

…というアドバイスを知人からもらうほど、遠野物語などとは異色の読みになったかもしれない。

ジョージ・オーウェルは共産主義を批判したかったらしいが…全体主義は姿を変えて、『戦争反対』や『思いやり』『性の自由』『多様性』等の言葉の内側に及び、監視社会も金銭との連携によって強化されているように感じられる。(私の主観ですが、当の私の個人ブログであるのであまり憚らずに書いています)

作品に特段意図を織り交ぜる気はない。

それでも敢えて『1984』を手に取って読んだ理由を述べておきたかった。

つまり私は、ある程度、この作品を本当の事として読んだわけです…よって、睡眠用などにはあまり適さないかもしれない。

話は変わりますが、音質について飛行機の音などのノイズ除去を施したところ、所々に声の歪みが出てしまったように思う。

読みはともかく音質処理の玄人になりたい。(だが、音質処理などで録音編集画面とにらめっこしていると、どんどん脳味噌が男脳になっていく気がする…ミシンとか人形ドレスをやっている女性的な気持ちの時とかけ離れた状態に陥るので、やはりほどほどにしといたほうがいいのではないか?このままではオッサンになってしまうのでは?とも思ってしまう。)

あと蛇足だけれど、作中、思わず唸ったのが、下層階級者の売春婦の歯が全部溶けて無かったという描写…あれは的を得ている。

どうしてか、窮屈な暮らしを経験した人って歯を蔑ろにしやすい傾向があるように思う。私事だが、かつての身近に、死んでも歯医者には行かない人や歯が全部溶けている人が、血縁をはじめ実際にちらほらいたので…全く以て、読んでいてこれほど状況的に納得のいく描写って、ジョージオーウェルはすごい、無意味に清貧めいた描写をしないあたりがスカッとする。

…かくいう私も、歯(骨)が弱い。

残酷なようだが、酸素状態と歯(骨)って連鎖しているような気がしてならない、幼少時の睡眠時の呼吸とか。なのである程度の酸素量の確保された広い空間か、窓を開けていられる環境が必要なように思う。

だからこそ、自分の弱さや人生のどうしようもなさを…圧倒的な相手(歯医者)から、ひた隠しにしたくなる心理も、わかると言えばわかる。

あと繰り返しになりますが『1984年』をはじめて読んだのが、先月であるので、その時に一気に景色(妄想)が見えたので、敢えて映画や評論などは目にしないようにして朗読しました。思っていたのと雰囲気が違う!という感想を持つ方もいらっしゃるかも?と感じますが、まあ…大目に見ていただければ幸いです。